- 本当に重要な情報は、いつだってシンプル
- 情報を精査し、「自分の頭で考える」
- あなたの好きなことって何ですか?
人に会いたいけれど、会えない。
人と話したいけれど、話せない。
人と触れ合いたいけれど、触れ合えない。
今まで当たり前にできていたことを我慢する。
新型コロナウィルスの影響によって、世の中はなんとも言えないムードに包まれつつあります。
見えないウィルスとのいつ終わるかわからない戦い。
人間の弱さを突きつけられ、無力感やなんとも言えない脱力感に襲われそうになるのです。
情報でパンクしていないだろうか
テレビをつければ、連日暗いニュースばかりが目に飛び込んできます。
経済は停滞し、株価は暴落を続けている。
飲食店や観光業では軒並みお客さんが減っていて、小さな企業であればあっという間に倒産しそうな勢いです。
何度も同じ情報を繰り返し受け取っているうちに、気分は沈んでくるし、次第にネガティブ思考になっていることに気づきます。
特に朝、昼、晩とワイドショーに触れ続けている人たちは、何十、いや何百時間とそれらのニュースを受け取っており、疲弊しているように見えます。
けれども、それらの情報は本当に必要なものなのでしょうか?
コロナウィルスの情報を、テレビのキャスターやコメンテーターは意気揚々と語る。
ここぞとばかりに、待ってましたと言わんばかりの勢いで、危険性や対策について話しています。
ただ彼らの多くは専門家はありませんし、事実ではない情報が含まれていたり、単に煽っているような発言も多いです。
感情的にコメントしているだけの情報を毎日浴び続けても、あまり意味がないのでは?
本当に大切な情報は実は少なくて、シンプルなんだと思います。
感情的なコメントではなくて、理論に基づいていて、多くの専門家が語っているようなことがら。
一般の人が取るべきだと、何度も繰り返し語られていること。
それらを守るだけでも十分な効果が得られるはずです。
- 石鹸による丁寧な手洗い
- 咳エチケット
- 換気の悪い、密閉空間を避ける
- 大勢で集まらない
- 目、鼻、口を手で触らない
- 人と一定程度の距離感を保つ
これらのことをある程度守ってきたからこそ、日本は水際で踏み留まっているんじゃないでしょうか?
ヨーロッパやアメリカなどが次々とオーバーシュート(爆発的感染者の増加)していく中、日本ではいち早くクラスターを特定がされ、対応できています。
それは専門家たちの対策が功を奏しているからなのでしょう。
コロナ渦で、今僕たちにできること
コロナウイルスの影響もあって、周囲は自粛ムードになっています。
そんな中、大半の人は自宅で過ごす機会が増えていると思います。
従来であれば、このような時にこそ、文学や芸術が僕たちの心を潤してきました。
けれども、今やコンサートやスポーツの大半は中止が相次いでいて、今回ばかりは頼れそうにありません。
今、僕たちにできるのは「考えること」なんじゃないでしょうか?
考えるという行為は圧倒的に「自由」です。
いつでも、どこでもできる。
お金はかからないし、誰の助けもいらずに、一人でできる。
自分は何をしたいか考える。
大切な人のために、何をしてあげられるかを考える。
たのしい物語を考える。
自分は何が好きなのか、何をしたかったのか。
本当はどのようになりたかったのかを考える。
日々の忙しさに追われて、「なんとなく」でやり過ごしてきた破片たち。
自分にとって大切なことってなんだっけ?
紙と鉛筆を用意してみましょう。
思い浮かぶ事柄をとにかく紙に書いてみるのです。
書き出した言葉たちは、とりとめのないものばかりかもしれません。
けれども、どんどんそれらは溜まっていく。
堆積していく。
すると、心の膿を吐き出したような気になって、なんだか気持ちが解放されたような気分になるはずです。
自分の頭で考えること。
それが目に見えて形になること。
生まれては消えていくものが残って、表面に現れてくるのはとても嬉しい。
最後に
社会は不安に包まれていて、不安な心の隙間にはたくさんの情報が入ってきます。
人は不安になると、何かに縋ろうとする。
タバコ、酒、ギャンブル、そういった依存と同じで、不安であるほど寄りかかれるものを探してしまうのです。
- こんな薬が効果があるよ
- トイレットペーパーは日本からなくなるよ
そうした情報は本当か嘘かに関わらず、僕たちの心を刺激します。
実際には嘘でも、みんなが信じれば「嘘」は「本当」になってしまうことがあるのです。
受け取った情報は、すぐには信じないほうがいいかもしれません。
一旦胸のポケットにいれ、自分の頭で考えてみる。
口に出したり、書き出してみる。
すると、一見正しいと思ったことでも、矛盾やほころびが浮かび上がってくるものです。
こんな時だからこそ、自分の頭で考えていきたいものです。