読書

就職に失敗したから起業した出版社の物語 | 『古くてあたらしい仕事』島田潤一郎

悩んだとき、苦しいとき、ソバに寄り添って立ち止まってくれる友達みたいな本。

それが『古くてあたらしい仕事』を読んで真っ先に感じた印象です。

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本の帯には、次のようなコメントがあります。

これは本をつくる職業の人が書いた、仕事と人生へのささやかなラブレターだ。

こんなにもたおやかで誠実で美しい文章はそう読めるものではない

筆者:ブレイディみかこ

作者の「島田 潤一郎」さんは、2009年にたった一人で夏葉社という出版社を立ち上げました。

会社を作った理由は、「人を助ける仕事がしたい」「お金を稼ぎたい」といった美しい動機ではなく、起業するしか選択肢がなかったから。

転職活動に50社連続で落ち、社会からは拒絶され、命を絶つことも考えたそうです。

何もかもが上手くいかなくて、道路の排水溝をただ眺めているような時間。

夜に紛れてこのまま消えてしまいたいような感覚。

私たちは絶望の淵に立たされたとき、今まで見えず、感じなかった想いに囚われます。

ただそれは当然で、人生には波があり、いい時があれば悪いときもある。

この記事では、島田さんの歩みを振り返り、「働くとは何か?」を考えたいと思います。

著者の仕事に対する想いは曇りがなく、嘘偽りのない誠実さがあり、手紙のように心に染み渡ります。

町の小さな出版社

世の中は目まぐるしいスピードで変化しています。

スケールを拡大し、生産性を高め、利益を追求する社会で私たちは暮らしています。

現代社会では、一人分のスケールで、のんびりと、必要なだけの物を手に入れるような働き方は望まれていないのかもしれません。

島田さんは、たった一人で出版社「夏葉社」を立ち上げ、編集、事務、営業、発送作業、経理といった諸々すべてを行なっています。

つくっているのは1年にたった3冊ほどの本。最低限の暮らしができる販売量を計算し、決して無理をしない商売をしています。

起業する人はエリートなのか?

みなさんは、どのような人物が起業するとお想いでしょうか?

  • 会社で活躍している
  • 夢や大志を抱いている
  • 学歴の高いエリート

ポジティブで前向き、スキルがあって、人脈があるようなイメージをお持ちの方が多いのではないかと思います。

しかし、島田さんの場合は起業するしか道が残されていませんでした。

「どうして会社を立ち上げたんですか?」

これまでにこういう質問を何度受けただろう。

そのたびにぼくは、「転職活動がうまくいかなくて、会社をやるしか選択肢がなかったんです」とこたえる。

質問した人は、「嘘でしょう」というが、ほんとうだ(省略)

最後に、ぼくにはキャリアも学歴もない。一九九九年に日本大学商学部卒業。ふつうすぎるくらいふつうの大学を出て、二七歳まで無職だった。

それから会社勤めをいくつか経験したが、どの仕事も続けることができなかった。

三一歳で転職活動をはじめたが、五〇社連続で不採用という結果。

だから起業したのだ。

この気持ちが僕には痛いほど理解できる。

転職したもののたった10ヶ月で落ちこぼれの烙印を押され、転職活動では100社近くから不採用通知を受け取りました。

大した能力や経歴がなく、周りとの差はどんどん開いていきます。

周囲が努力を積み重ね、信用を手に入れる段階に差し掛かっているのに、自分は誰からも必要とされていない現実に絶望したことを覚えています。

仕事とは「人に必要とされる」こと

「仕事とは何か説明してください。」

このような質問をされたら、以前の僕はなんと答えればいいのかわからなかったと思います。

けれども本著を読んで、その答えの輪郭がくっきりとした気がしています。

仕事は苦役なのか?

仕事は苦役であり、できることならやりたくない人が大半だと思います。

嫌なことをして、お金をもらう。それ以上でもそれ以下でもない。僕はそんな風に考えていました。

けれども、「仕事とは人から必要とされることだ」という言葉に一瞬心がざわついた気がしたんです。

二〇代の時に読んだロッテの元監督ボビー・バレンタインの言葉が、いつまでも心に残っていた。

人生でもっとも大切なのは、人から必要とされることだ。

ぼくはバレンタインの「人生」という言葉を「仕事」に置き換えて、読んだのだった。

それまでは、仕事にたいしては、労働とか義務とか搾取とか、暗いイメージしかなかった。けれど、バレンタインの言葉を読んでから、仕事にたいする印象がすこしずつ変わっていった。当時はわからなかったが、いまになれば、それがわかる。

三二歳の無職のぼくは、ぼくを必要としてくれる人のために仕事をしてみたいと思うようになっていた。

お金の発生するものだけが仕事ではない

「仕事=お金」。資本主義社会では当たり前すぎる方程式なのかもしれません。

けれども、この式が当然のごとく普及した社会は息苦しいものだと感じています。

ありとあらゆるものが、貨幣的な価値を持ち始めています。

ただで手に入るはずだった水や公園や山といった居場所、お金のない人に対しても平等に開かれていた場所が、お金に置き換えられています。

お金のない人は利用することができず、排除される。

弱者は外部に追いやられ、対価を払った人たちだけで共有される空間。

もっと多様性があってもいいんじゃないかな?

島田さんは「仕事=お金」ではないと考えているそうです。

世の中では、労働し、自分の能力と時間を会社に捧げることによって、対価をもらうことを、仕事というのだと思う。

または、会社に属していなくても、あるパフォーマンスにたいして誰かがお金を払ってくれたら、そこで初めて、世間から仕事として認められるのだと思う。

「仕事を探さなきゃ」という台詞は、暗にお金がないことを指していたりもするし「仕事をちゃんとやれ」という叱咤は、給料をもらっているんだから、せめてその金額くらいの仕事をやれ、というような意味を多少なりとも含んでいる。

その意味でいうと、ぼくはお金と関係のある仕事を、いつまでたっても見つけられなかった。

けれど、お金が発生しない仕事であれば、いくらでも見つけられるような気がした。

例えば、子どもたちは、だれかに命令されたり、義務感にかられたりして、なにかをはじめるわけではない。彼らはとにかく身体を動かしたくて、なにかをはじめる。または、大人がやっていることを真似したくて、いろいろな道具を使いはじめる。

彼らは木に登る。
プラモデルをつくる。
ホットケーキをつくる。

こどもたちは、大人の役に立ちたいと強く願っている。そして、それはぼくも同じだ。

だれかが困っていたら、その人の力になりたい。だれかが汗をかいてなにかをしていているのを見たら、手伝いたい。うずうずする。

だれかの力になりたい。
だれかを支えたい。

仕事のスタートとは、そういう純粋なものでもある。

仕事の本質とはなんなのだろう?

それは、人のために何かをしたい、人の役に立ちたいという想いを持つこと。

その気持ちが原動力となり、仕事は生まれるのです。

“今”の自分にできることをする

僕には”今”の自分にできない、苦手な能力ばかりを伸ばそうとして、挫折した経験があります。

周りは好きだったり、得意だったりする分野で戦っている。それなのに、僕は嫌いで苦手な分野で戦っている。

そんな環境では、好きでやっている人には努力をしたところで敵いません。

「将来役に立つ」という表面的なメリットを意識しすぎるがあまり、自分の気持ちや個性を無視した生活を続けていました。

その結果、僕の中から自信は失われ、何が強みなのかがわからなくなっていきました。

そうならないためには、それぞれの”個性”を大切にし、平均値に近づける努力をしないことだと、島田さんは言います。

みんながやっているから、では到底納得できない。そればかりか、みんなとは別のことをしたくなる。いつも。

だから友だちが少なかった。学校の成績もよくなかった。要領がとにかく悪かった。

でも、それが個性というものなのだから、仕方がない。

自分の力を世間一般の平均値に近づける努力をするよりも、自分ができそうなことをやる。続けられそうなことをやる。

続けられることというのは、存外多くはない。それはこれまでの自分の人生を思い出してみれば、はっきりとわかる。

できないことはできない、とすっぱりあきらめる。

それが、三十数年生きてきたぼくの数少ない教訓だった。

これまでの人生を振り返ると、自分の特性が見えてきます。

「社交性がない」

「対人関係が不得意」

「一つのことを突き詰める」

長い年月をかけて蓄積されてきた個性は、大人になったからといって簡単には変わりません。

大切なのは、できないことはすっぱりと諦めること。執着しないことです。

そして、あるがままの己を評価し自己ベストを更新し続けることが大切なんだろうと思います。

もしかしたら、ぼくはたいした仕事ができないかもしれない、とも思う。

けれど、そもそも世間に認められたくて、仕事をするのではない。だれかを打ち負かすために、仕事をするのでもない。自分が全力を注ぐことができる仕事を自分で設計し、それに専念する。

重要なのは、自分の能力を過大評価しないことだろう。

かといって、見くびらないこと。
だれかになろうとしないこと。
これまで培ってきた経験の延長線上で、すべてを考えるということ。

本屋と居場所

本をつくるという仕事

本屋の数は年々減少し、書店が1つもない市町村も出てきています。

インターネットは時代のスピードを加速させ、本の出版サイクルは格段に早くなりました。

書店には所狭しと新刊が並び、誰にも読まれないまま本棚から消えていく本の群れたち。紙の本は古いと言われ、Webの記事や電子書籍を読む人が増えています。

そんな時代において、なぜ島田さんは出版社をやろうと思ったのでしょうか?

本もまるで多くの商品と同じように、短距離走を走っているようだった。

一週間で、一ヶ月で、どんなに長くても一年で結果を出さなければ、市場から消えて断裁されてしまう。まるで、流行と結託しているTシャツやコンビニのスイーツのように、あたらしいものがつくられてはすぐに消えていく。

けれど夏目漱石の小説が読まれ続けているように、四〇〇年以上も前のシェイクスピアがいまもなお訳を変えながら版を重ねているように、本の寿命は本来とても長いものだ。

いまを生きる作家の本は、既存のたくさんの出版社がつくっている。それならば、ぼくはかつて出版され、絶版になっている本をもういちど自分の手で世に出してみたかった。

数十年前の作家と編集者が魂を削ってつくった本に、もう一度あらたな息吹きを吹き込んでみたかった。魂のリサイクル。

本をつくるのに際して、考えたのはただひとつ。それは、ぼくが欲しくなるような本をつくる、ということだけだった。

活字と外装の融合が”魅力的な本”を形づくる

本をつくる基準は「自分が欲しくなる本」。

この精神はどのような仕事にも通じると考えています。

こんな商品が欲しい、こんなお店なら足を運んでみたい、そうした自分の価値観を基準にニーズを考える。

本といえば、中身の面白さや独自性ばかりが重視されるけれど、島田さんは外装も大切だと言います。棚に置いておくだけでワクワクする本。触れたくなる材質や心が踊るグラフィック。

本の装丁には、徹底的にこだわっています。

例えば、最近では珍しい”“を使った本。あるいはグラフィックデザイナーの”和田誠”さんや現代史作家の”荒川洋治”先生に装丁や巻末エッセイを依頼するなど、作品へのこだわりが伝わってきます。

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どういう造本にするかということは、本の内容と同じくらいに、ぼくにとって重要なことだった。

どんなに内容が素晴らしくても、見た目が本の内容に釣り合っていなかったら、それは本という物の価値を下げる。

うまくいかない経験を積み重ねる

起業すれば簡単に軌道にのって、人生万々歳!というわけには当然いきません。

経験したことのない出版社という職業。業界のルールや仕事の種類や方法、足をつかっての営業など大変なことばかりだったそうです。

ぼくがどれだけ苦杯を嘗めたかは、ここでは詳らかには書かない。でも一度だけ、あまりにも悔しくて、自分でも信じられないくらいに大きな声で、「クソッ!」と独り言をいったことがある。(省略)

ぼくは勢いで出版社を立ち上げたが、つくりたい本のアイディアが山ほどあったわけではなかった。

発想力にすぐれているわけではない。頭がいいわけではない。交渉力に長けているというのでもない。

会社は創業後の一、二年がいちばんきついというが、ぼくがそのもっとも厳しい時期を乗り越えられたのは、書店で働くたくさんの人が、ぼくの仕事を支えてくれたからだ。

それとひとりひとりの読者。

自分だけの仕事の居場所をつくる

小さい会社と大きな会社。

同じ戦略で戦えば、人や金、スケールが豊富な方が勝つに決まっています。

弱者の戦い方としては、いかに他社がやらないフィールドに根を張ることができるかが鍵。

自分の仕事をつくるということは、他社が手をつけていない領域で、仕事をはじめることを意味するのでしょう。

ぼくは競争社会からなるべく遠い場所で、自分の仕事に集中したい。けれど、市場を見なければ、どこが未開拓地なのかがわからない。だから、毎日のように本屋さんに行く。

他社の仕事と自分の企画が重複していたら、できるかぎり手をひく。他社がやりそうだなあ、と思っても手をひく。

売り上げの多寡が問題なのではない。自分の仕事の場所を保持することのほうが、よほど大切だ。(省略)

彼らと話すたびに、同じ時代に同じようなものを聴いて読んで、影響を受けて、それで大人になった人たちがこんなにもたくさんいるのか、と驚いた。

彼らはぼくとどこか似ているのだった。

お金がなく、どこか鬱屈としていて、本と音楽が好き。ぼくと同じように、どこかで暗い青春を過ごし、迷い迷いながら三〇台を迎えている。

そういう人たちは東京だけでなく、京都にもいたし、奈良にもいたし、熊本にもいた。

彼らは、ビジネスの相手というよりも、あたらしい友人のようだった。それぞれの会社の事情よりも、私生活や体調や恋の方がきになるような人。

ビジネスの世界は、利益を出すことが最重要であり、効率性を高め、いかにして他社に勝つかといった殺伐とした世界でもある。

競争に勝つ為には時には自分を騙し、嘘で覆う必要だって出てくるかもしれない。

けれども島田さんは、嘘をつかない。裏切らない。自分だけが得をしようとは考えません。

仕事をするのはビジネスパートナーというよりも、友人に近い感覚だといいます。

相手の会社事情よりも、”その人自身”を知りたくなるような相手との交流。

誠実に、真剣に仕事に向き合うことで、周りには自分と同じような人が集まってくる。そして友人のような関係の輪が広がっていく。

とても素敵なことだと僕は思います。

誰でも起業はできる

起業できる人は特別で限られた人たち。

人脈、お金、経験、知識、何もない人には無関係な話。そう感じる方もおられるでしょう。

けれども、自分で事業を起こすことは特別なことではありません。

振り返ってみると、第二次世界大戦後の日本は焼け野原でした。

そこには”会社”なんてものは存在せず、個人で露店商をするしかありませんでした。

今のようにガチガチのルールが決められていたわけではなく、ゆるやかな社会の中に個人が思いおもいに商売をしていたんです。

とにかく生きるためには、できることを必死にやるしかない世界が半世紀前には存在していました。

会社を経営するということは、ぼくが想像していた以上には難しくはなかった。経営に必要な才覚なんて、たぶんない。

「やる」と覚悟を決めれば、だれでも、いつでもはじめられる。あとは全部はじめてから考えればいい。毎日毎日、軌道修正していけばいい。

仕事の核となるのは、あくまでひとりの人間の個性だ。

こうすればうまくいくというような仕事の型があって、それに無理やり自分を押し込めるのではなく、わたしにはなにができ、逆になにができないか、を考え続けて、日々の仕事を試行錯誤しながらつくっていく。

そこには、ずば抜けた能力なんて必要ない。ノウハウや特別なコネクションも、関係ない。

それよりも、なにをやるべきか。もっといえば、今日、だれのために、なにをするか。

仕事の出発点は、いつもそこだ。

本屋という存在

お店に入って、何も買わず外に出ても文句を言われない。

このようなお店は意外と少ないように思います。

カフェではドリンクの注文が必要だし、飲食店に行けば料理を頼むのが基本です。

コンビニで立ち読みを続けていたら、店員からは嫌な顔をされることでしょう。

その点、本屋は何時間入り浸っても嫌な顔一つされません。お金がない人たちにも開かれた空間であり、落ち込んだ心や知識欲を思う存分満たしてくれる懐の広さがあります。

例えば、山下賢二さんは『ガケ書房の頃』の中で「本屋は勝者のための空間ではなく、敗者のための空間なんじゃないかと思っている。誰でも敗者になったときには本屋に駆け込んだらいい」と書いています。

ぼくが本屋さんが好きで、本が好きなのは、それらが憂鬱であったぼくの心を支えてくれたからだ。

それらが強い者の味方ではなく、弱者の側に立って、ぼくの心を励まし、こんな生き方や考え方もあるよ、と粘り強く教えてくれたからだ。

それは本だけではない。音楽や映画やアニメーション。喫茶店や中古レコード屋さんや映画館。

こうしたものは、人生を支えてくれる。それは既に力のある人たちの権力を補うものではなくて、そうでない人たちの毎日を支える。(省略)

現実の世界だけでは、ときどき、たまらなく苦しい。逃げる場所もないように見える。それは、スマートフォンでニュースを見ていても、SNSを見続けていても同じだ。

けれど、現実に流れる時間とは別の、もうひとつの肥沃な時間を心のなかにもつことができれば、日々はにわかにその色を取り戻す。(省略)

もっと丁寧にやらなくては、と考えながら、頭は売り上げのことばかり考えている。反省し、態度をあらため、ふたたび反省して、ということを繰り返しながら、自分の仕事の形を日々整えている。

いつでもお金がほしいが、それだけが目的になってしまえば、仕事はどんどんとだれかに似てくる。人気のあるものに似ていくし、話題になっているものに近づいていくし、自分がつかっている言葉や、立ち振る舞いさえも、だれかと瓜二つになっていく。

そうしてある日、これは、ほんとうにぼくが望んでいた仕事なのだろうか、と思う。

最後に

著者の島田さんは、たった一つの本をたった一人の読者に向けて誠実に作り続けています。

文章の心地よさと装丁の美しさは、まるで一つの芸術を見ているかのようです。

僕は本書を読んで救われた人間の一人です。等身大の自分の弱さを綴り、自分のできる範囲で、言葉が届く相手に対して、誠心誠意を尽くしたものづくり。

本書は何度も繰り返し読んでいますが、なんど読んでも新たな発見がある貴重な作品だと思います。一人でも多くの方に本著を知っていただけると非常に嬉しいです。

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