- “ありふれた日常”を変える恋のチカラ
- 現状維持は自分を最も傷つける行為
- 恋にはそれぞれの形があっていい
川上未映子さんの小説、『すべて真夜中の恋人たち』を読みました。
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小説を一言で表すなら、
恋にはそれぞれの形があって、その人が恋だと思ったら、それが恋なのだということ
「恋とは、恋愛とはこうあるべき」という、あるべき姿に囚われないことの大切さを、この小説は教えてくれます。
平凡な主人公のありふれた「恋」
主人公は校閲の仕事をしている、入江冬子さん。
彼女はフリーの校閲者として、来る日も来る日も、本の正しい姿を追い求めています。
小説の主人公にありがちな、”可愛さ”や”綺麗さ”、”特技”といったものを、彼女は持ち合わせていません。
また人を惹きつける魅力も、”アイコンとなるような象徴性”も彼女にはありません。
僕たちと同じいたって平凡で、”普通の人物“だと言えるでしょう。
そんな彼女の毎日は、三束(みつつか)さんと出会うことで少しずつ動き始めます。
何事にも受け身であり、事なかれ主義的な彼女の思想に、変化が起き始めるのです。
「恋」がありふれた日常を変える
些細なきっかけから、三束さんと知り合いになった冬子は
何の変哲もない日常が“色づき始めた”こと
に気づきました。
近くのカフェで待ち合わせることが、習慣となり、胸のザワつきが次第に高まっていきます。
また三束さんの発する声や、ちょっとした仕草を愛おしく想い、気持ちもどんどん高ぶっていく。
けれども、彼女はその正体が”恋”だということに、なかなか気付きません。
著者はラジオ「学問のススメ」の中で、光をモチーフにした作品を描きたかったと話しています。
- 触れたくても、決して触れることのできない”光”という存在
- 恋は届かないからこそ、素晴らしい
そんな風にも語っています。
本書の冒頭は、次のような文章で始まっています。
真夜中は、なぜこんなにもきれいなんだろうと思う。
それは、きっと、真夜中には世界が半分になるからですよと、いつか三束さんが言ったことを、わたしはこの真夜中を歩きながら思い出している。
光を数える。
夜のなかの、光をかぞえる。
雨が降っているわけでもないのに触れたように震える信号機の赤。
つらなる街灯。
走り去ってゆく車のランプ。
窓のあかり。
帰ってきた人、あるいはこれからどこかへゆく人の手のなかの携帯電話。
真夜中は、なぜこんなにきれいなんですか。
真夜中はどうしてこんなに輝いているんですか。
どうして真夜中には光しかないのですか。
真夜中には、無数の光が存在しています。
僕たちは、誰もが”孤独”を抱えながら生きています。
けれども孤独を感じるからこそ、人は人を求め、他者と関わりが持てることの素晴らしさを実感できる。
それぞれが持つ孤独という闇の中で、他人の孤独がキラキラと光り輝いています。
友達、家族、恋人。
三束さんへの募る想いが、柔らかいモチーフとして、文章の中に表現されているように、僕には思えます。
触れたくても触れられない、微妙な距離感
この物語は、終盤まで並行線を辿ります。
冬子と三束さんとの縮まらない距離。
どちらからも、近づこうとせず、離れようともしない。
好きであるからこそ、近づくのが怖い。
けれども、決して離れたくはない存在。
恋をした者なら誰もが理解できるであろう、何とももどかしい状況のまま、物語は進行します。
“今”を”未来”のために犠牲にしてはならない
三束さんの誕生日がやってきました。
勇気を振り絞り、冬子は三束さんを食事へ誘います。
慣れない服装、慣れない食事、慣れない会話。
自分の殻に閉じこもってきた彼女にとって食事のお誘いは、胸の奥で渦巻く葛藤と戦い続けた末に得た、一大決心でありました。
わたしは、これまで、何かを、選んだことがあっただろうか。
わたしは両手のあいだに置かれた携帯電話をみつめながら、そんなことを思った。
この仕事をしているいまも、ここに住んでいることも、こうしてひとりきりでいるのも、話すことも、わたしが何かを選んでやってきたことの、これはけっかなのだろうか。
どこか遠くのほうでカラスの鳴くのがきこえ、わたしは窓のほうをみた。
それから、何も選んでこなかったのだと、思った。
p290
ただ周りに流され、現状を維持することに努める。
何かを選ばなければ、失敗した時に、傷つかずにすむ。
僕たちは”苦しいけれど明るい未来”よりも、”楽で退屈な今”を選択してしまいます。
選択を先延ばしにした挙句、結局自分が望んだものが手に入らなかった。
”今”を犠牲にして、惰性で現状を維持することは、最も自分を傷つける行為だと彼女は気付きました。
相手の懐に飛び込む勇気
物語のクライマックス。
燃えたぎるドラマチックな要素はないけれど、そこには青白く燃える炎のように、静かで熱い想いがありました。
三束さん、とわたしは三束さんの名前を呼んだ。
三束さんはわたしをみつめているだけで、返事をしなかった。
どちらからともなく、手がふれた。
わたしたちは指と指の背をふれあわせたまま、動かなかった。
三束さんの頬に、夜の木漏れ日がぼんやりとした模様をつくっていた。
〜
わたしはもうひとつの手をのばして、その指さきで、三束さんの目のわきにある傷あとにそっとふれた。
三束さん、わたしは三束さんを、愛しています。
部屋のなかで、会えないとき、夢から覚めたときに、どうしようもなく、胸からこぼれ、ただすぐに消えてゆくしかなかった言葉ようりももっとつよいかたまりを、わたしは三束さんに向けて放っていた。
p319、320
最後のさいごで、彼女は自分の殻を破ることに成功します。
決して傷つかない安全な自分の世界から飛び出て、何が起こるかわからない他者の光へと飛び込みました。
もしかするとその姿は、”ピュア”だとか、”ウブ”といった言葉で済ませられるものなのかもしれません。
けれども僕は、彼女の勇気ある行動をそんな簡単な言葉で済ませられるのだろうかと思いました。
赤ちゃんが初めて自分の足で歩き出した時、ご飯を食べ始めた時、言葉を発した時。
僕たちは記憶にないけれど、幾度も”初めて”を通過してきているはずです。
その過程では、死ぬかもしれない、命がけの場面もあったはず。
出来ないことに苦しみ、葛藤を抱えながら、必死に取り組んでも失敗する。
しかし、それでも諦めずに何度も立ち向かったから、壁を越えることができた。
彼女もまったく同じであり、恋かどうかも理解できない状況の中、わけのわからない葛藤にもがき苦みました。
その苦しみの果てに、
あなたが好きです
という一言を発することができたのです。
本書では、彼女の恋が実ることはありませんでした。
三束さんは、経歴を詐称しており、彼女の前から姿を消してしまいます。
朝や昼間のおおきな光のなかをゆくときは今も世界のどこかにある真夜中を思い、そこを過ごす人たちのことを思った。
わたしは三束さんのことを思い出して息を止め、ふたりで話したことを思い出し、とてもすきだったことを思い出し、ときどき泣き、また思いだし、それから、ゆっくりと忘れていった
p348
あの甘い恋は、本当に存在したのだろうか?
本当に彼はそこに存在したのか?
時間を経るごとに、痛みは薄れ、記憶から”あの恋”は遠ざかっていく。
僕も今失恋をしたばかりで、時々胸がうずくけれど、そんなことも次第に無くなっていくのでしょう。
1日でも早く忘れたい、もちろんそのような気持ちはあります。
ただ一方で、この痛みが記憶にすら残らないのは、とても寂しい。
あの日、あの時、あの場所で感じていた、大切な想い。
心の引き出しの隅に、大切にしまっておきたいと心から思います。
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