読書

【大人のいない国】教養は”成熟した大人”になるための必須科目 | 鷲田清一 × 内田樹

若さに価値が置かれ、「成熟した大人」が軽視されるようになった現代。

本書はそんな時代における、私たちが目指すべき「大人象」を提示してくれます。

大人のいない国」は、大阪大学の学長だった”鷲田清一”氏と神戸女学院大学名誉教授の”内田樹”氏との対談本です。

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話の大筋としては、

日本社会では、常に犯人探しが行われているように見える。

他者を批判する人々や、消費者マインドを持つ人々が溢れ、日本人は幼児化し始めている。

果たして、なぜこのような状況に陥ってしまったのだろうか?

この問題を分析し、成熟するための道しるべを示したのが本著です。

全体をまとめてご紹介することは難しいので印象に残った箇所、

大人になるために必要な条件

についてご紹介していきます。

“教養”を身に着ける

近年、大学ではリベラルアーツ(教養)が重要視され始めています。

“オトナ”が身に着けるべきスキルだと、認識され始めているのです。

しかし、一口に”教養”と言っても、何を指すのかよくわからないですよね。

漠然としていて、イメージしづらいです。

例えば池上彰さんは、次のように言っています。

「すぐに役立つことは、世の中に出てすぐに役立たなくなる。

すぐに役立たないことは、長い目で見ると役に立つ。

教養は後者のことを指す」と。

参照:おとなの教養 私たちはどこから来て、どこへ行くのか?

また本著では、”教養”を次のような言葉で説明しています。

鷲田大学で身に着けるべき教養とは、「言っていることは整合的だけど何かうさんくさいものと、言っていることはまるでわからないけど何かすごそうなもの、その二つをちゃんと見分ける能力だ」って言ってるんです。

内田:僕は、「知識と教養は違う」とよく学生に言うんです。

図書館にある本は情報化された知識ですよね。

教養というのは、いわば図書館全体の構図を知ること。

教養というのは知についての知、あるいはおのれの無知についての知のことだと思います。

一見、池上さんとは異なった主張に思えますが、同じことを説明しています。

つまり、知識というのは情報であり、すぐに役に立つ即効性を持っています。

それに対して”教養”というのは、効き目として表面に出てくるのに時間がかかるのですね。

というのも、教養は知識そのものではなく、“知識を元にして全体を俯瞰すること”を指しているからです。

教養は”全体を俯瞰”すること

「木を見て森を見ず」という諺がありますが、”教養”は「森を見る」ことです。

例えば会社員は、立場によって視点が変わります。

平社員は、”目の前の仕事だけ”を見つめ、課長は”課全体”を考える。

そして社長は、会社だけでなく世の中のマーケットに想いを馳せる必要があるでしょう。

知識と教養に当てはめると、

平社員

“知識”はあるが、”教養”がない

理由:目の前のことしか、考えられないから

 

社長

“知識”も”教養”もある

理由:知識をベースとして、全体を俯瞰できるから

全体を俯瞰することで、多様な視点から物事を考えられるようになります。

結果、一元的な物の見方に囚われずに済みます。

教養は、長期的な視点で捉えるべきものです。

スピードや”役に立つこと”が重要視される現代だからこそ、変化しない、不変的な視野を身に着けることが大切なのです。

この能力が身に着けば、

善悪といった二言論的ではない、緩やかなグラデーションの中に、物事を位置づけることが出来ます

白か黒だけではなく、グレーの存在を認められる。

どちらが良い・悪いではなく、中間的な選択肢を選べるようになります。

複数の人格を操れるようになる

内田先生はオトナの条件として、

個人の中の多様性が重要

だと言います。

内田子どもと大人の違いは個人の中に多様性があるかどうかということですから。

たとえば僕は今五十七歳ですけれど、僕の中には四歳の幼児もいるし、十四歳の中学生もいるし、二十歳の青年もいるし・・・その時々の自分が全部ごちゃっと同居している。

だから、もののはずみで小学生の自分が現れることだってある。

年をとる効用ってそれだと思うんです。

生きてきた年数分だけの自分が、一人の人間の中に多重人格のように存在する。

そのまとまりのなさが、大人の「手柄」じゃないかな。

人間は、本音と建前を内側に秘めています。

例えば、会社で地位のある人は、「あの人は立派な人だ!」と尊敬されているかもしれません。

しかし家に帰れば、「家事はせず、休日は寝てばかり」ということだってあるはずです。

人にはこのように、立場によって振る舞いが変わる、多重人格が存在するのです。

こうした人格を、個人の中にいくつも抱えておく。

年を経るごとに増える人格を、個人の中に持ち、緩やかに統合していくこと。

それが、”オトナ”になる条件なのです。

それに対して、子どもは、「本音」を剥きだしにします。

感情のコントロールが出来ず、怒りたい時に怒り、泣きたい時に泣く。

建前を使いこなせず、個人の中に人格を複数持つことが出来ない。

今、そのような人々が増えていないでしょうか?

大人は、個人の中に多数の人格を合わせ持っています。

一方、子どもは一つの人格しか持たず、感情をむき出しにします。

大人は、建前を使いこなすことが出来るのです。

最後に

年齢的には「大人」でも、誰もが精神的に成熟した人間になれるわけではありません。

「大人」になるためには、

教養を身に着け、感情をコントロールした上で、多様な人格を持つことが大切

なのです。

そうでなければ、名探偵コナンとは正反対の、

“体は大人、心は子ども”

になってしまいます。

自らの振る舞いには注意したいものですね。

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