仕事

「妥協」ができない会社員には、破滅が待っている ー 妥協というスキル

仕事をしていると悩みが尽きない。

けれども、周囲を見ていて感じるのは、「悩みがありつつも楽しんで仕事をしている人」と、「悩みを深刻に捉えてしまい、身動きが取れなくなっている人」がいるということだ。

悩みの内容は人それぞれとは言え、仕事で深刻に悩んでしまう人は、ある意味「真面目」なんだと思う。

上司から言われることには、「はい!やります!」と2つ拍子で返事をし、定められた納期には何がなんでも間に合わせようとする。一見会社員としては、模範的な社員像のように思われるけれど、真面目で責任感の強い人は、仕事で追い詰められやすい。

のらりくらりと、適当にやっている人の方が、長く続けるという意味では、長期的に働けるのではないかと感じる。

頑張っても報われるとは限らない

たしかに学校では、「真面目で何でもしっかりこなす」という能力は、有利に働いただろう。勉強すればテストの点数が上がり、その結果、行きたい学校へ入学できる。頑張った分だけ、その結果が自分に返ってくる。自分の能力が評価され報われるという、ある種残酷であるがフェアな世界がそこにはあったはずだ。

けれども仕事、特に会社員として働く場合、頑張っても報われるとは限らない

組織の仕事にはきっちりとした区分がないし、できる人にはどんどん仕事が集まってくる。仕事は増え続け、責任感が集中した結果、耐えきれなくなる可能性もある。

適当に考えられる人であれば、「これ以上仕事は出来ません」「この役職は自分には真っ当出来ません」といった「逃げる」という選択肢を取ることができる。

一方で、真面目な人は、どうしても「逃げる」ことができない。「自分がやらなければ」とか、「仕事は出来ないのは自分のせいだ」といって、仕事を抱え込んでしまう。

会社員は経営者ではなく、雇われの身だと肝に銘じておく

このように責任感が強く、仕事をしっかりこなす人材は会社にとって非常にありがたい存在なのだとは思う。けれども、本人にとっては、一度立ち止まって考えてみたほうがいいんじゃないだろうか。

会社員として一生懸命働いた所で、会社が100%の見返りを与えてくれることはありえない。

あくまで会社員は「雇われ」の身であって、どれだけ成績が上がろうと、少しばかりの給料が上乗せされるに過ぎないだろう。

結局会社を儲けさせるだけで、自分自身への対価はすくない。それならば、給料分程度で仕事をこなすほうが無難ではないかと思う。

僕自身、始めに働いた会社では身を粉にして働いた。
頑張れば報われると思ったし、顧客のために働くのが「仕事の意義」だと信じていた。

けれども頑張った結果残ったのは、疲弊した精神とボロボロになった身体だけだった。

妥協するスキルは、会社員にとって必須の能力

この経験から僕は、会社員にとって大切なのは、「妥協できる力」なのだと感じている。

もらった給料分くらいに頑張ればいい。
任せられた仕事は、すべて自分一人でやり切らなくても大丈夫。

すべてを正面から真面目に受け止めるのではなくて、適当にかわしたり、逃げ道を用意しておくことが大切だ。

もしキャパ以上の仕事を求められるのであれば、給料を相応に上げるのが当たり前だし、無理だというのであれば、辞めることを検討したっていいんじゃないかと思う。

給料の対価分働く。これは、至って当たり前の考え方であり、経営者やフリーで働いている人にとって、ごく自然な考え方なのだから。

仕事は際限なく増え続ける

仕事のクオリティを上げようと思えばきりがない。

「新しい機能をつける」、「顧客へのサービスを向上させる」。やろうと思えば際限なく、課題は積み上がっていく。この時、どの程度で仕事を妥協できるかの指針は考えておく必要があるだろう。

“これ以上はできない”という基準をあらかじめ設定しておくことで、自分の中で「仕事量」に対する軸ができる。その軸が、身体や精神を壊さないくらいで、「妥協する」心がけに繋がっていくはずだ。

最後に

もらったお給料分だけ、働く。

商品を売っていれば、商品の値段分しか、お金は得られない。至って自然な考え方である。

けれども、会社員にとっては、そんな当たり前の概念すら抜け落ちているように感じる。

会社員が売っているのは、会社の商品でもサービスでもなくて、「自分=労働者」というサービスを売っているのだ。

会社に提供しているのは、労働というサービスである。
それならば、提供される給料以上にサービスの質を要求されるのは、おかしいのではないだろうか。

赤字覚悟で商売をしている会社は、いつか潰れるだろう。同様に、赤字覚悟で労働力を提供している労働者も、いつかは破綻する。
相応の対価で、働くということ。
自分を守るために、是非とも身につけておきたい考え方である。