仕事

「仕事は結果がすべて!」ではない? 経営者と労働者の目線は違う

仕事は結果がすべてだ」、と言われることが多いです。

実際に新卒入社した会社では、次のような話を聞かされました。

「社会人になれば、結果がすべてです。

学校では、結果だけでなく、プロセスや頑張ったという意欲が評価されるかもしれません。

しかし、就職して仕事をするようになると、たとえ頑張ったとしても、結果が出せなければ評価されることはありません。」

当時の自分にとって、結果がすべてだという言説は、ある種の希望であるように思えました。

  • 結果さえ出せば報われるんだ
  • 年齢なんて関係なく、実力さえあればOK

シンプルな仕組みがそこにはあるのだと感じました。

しかし一方で、社会に出るのは怖いなぁ、嫌だなぁという不安に駆られたのも覚えています。

  • 結果を出せなければ、捨てられるのだろうか
  • 使えない社員の烙印を押されるのだろうか

“期待”と”不安”が入り混じった感情に襲われたのを覚えています。

ただ実際に働き始めてからは、「仕事は結果がすべて」というのは、いささか事実に反するのではないかと気づき始めました

成果主義が浸透している外資系企業ならいざ知れず。

日系企業に務めるのであれば、「結果がすべて」というのは、ウソだと考えた方がいいと思います。

 

経営者と労働者の視点は違う

確かに経営者の視点から考えると、結果がすべてだというのは理解できる。

結果が出なければ、利益が出せなければ、会社は潰れるしかない。綺麗事を言ったところで、資本主義で競争に晒されている以上、市場原理から逃れることは不可能だからだ。
そういう意味で、プロセスが評価されないという言説は一理あるように思える。

頑張っただけでは、何も生まれない。いくら徹夜で顧客のために汗水垂らして努力したとしても、顧客にとってはそんなものは何の価値もない。目の前の商品。それがすべてであり、それ以外のことはなんら影響を及ぼさない。そんな厳しい世界が広がっているだから。

一方、従業員の視点から言えば、「結果がすべて」だとは言えないのではなかろうか。

例えば、営業マンが月のノルマを達成出来なかったら給料は下がるのだろうか。
あるいは、ソフトウェアの開発が失敗したら給料から差し引かれるのだろうか。
よっぽどのことがない限り、減額されないだろうし、雇用者をクビにすることだって出来ない。

反対に、いくら会社に利益をもたらしたところで、すべてが給料に反映されることもない。
少しでも報奨がでれば、万々歳だろう。

日経企業の多くが、成果主義システムを採用していない

そもそも、日本型企業における給料体系は、成果によって決定されるわけではない。

その証拠に、「年功序列」なんていう、年齢だけで給料が決まるシステムが残っているし、「成果がすべてだ」という言葉とは、完全に矛盾する事実が存在している。

実際に働いてみるとわかるけれど、労働時間の長さで、人を評価するような職場は多い。
定時に帰るだけで、やる気がないように思われたり、有給を使おうとすると迷惑がられる。
たとえ、短時間で抜群の結果を出していたとしても、ダラダラと長時間残業している社員が評価されたりする。

実力主義を掲げる会社にしたって多くの場合、これと同じことが起こっている。曖昧な評価制度をいじくり回した挙句、周囲と対して結果に差がつかないという結末になってしまう。

「仕事は結果がすべて」ではない

語り手が経営者であれば、あくまで視点が違うのだ。

会社に雇用されて、従業員として仕事をする以上、結果がすべてではないし、彼らの論理に従っていては搾取されることになるだろう。
請負契約であれば、目的を達成できなければ賃金は支払われない。けれども、雇用者として会社と契約している以上、「労働に従事」していれば賃金は発生する。もし、賃金を支払わないというのであれば、法律的にも怪しくなってくる。

よくよく考えてみると、学生の方が「結果がすべて」な環境にいるのかもしれない。

大学入試を受ける場合、テストの点数が悪ければ、どれだけ頑張ったところで不合格になってしまう。高校球児たちは、1回の敗北すら許されない、過酷な戦いを強いられる。

適当にやっていても、たまたまわかる問題が出れば合格できるし、ラッキーが続けば弱小チームが勝ち上がることもある。
そこにはプロセスは関係ないし、結果だけで評価される、清々しくも残酷な世界が横たわっている。

会社で行う仕事には、ここまではっきりとした結果で評価されることは、ほとんどない。

最後に

「結果がすべて」だという経営者の論理。

本当に会社がその論理を採用するなら、案外面白いのではないかと僕は思う。

結果がすべてとなれば、個人の業務実績は可視化され、本当の意味での”評価の透明化”が実現する。無駄な会議や上司へのごますり、付き合い残業も減るだろう。

ただ、もしこうした働き方が実現した場合、労働者は経営者に近い目線を持ったと言えるのではないか。

だとすれば、会社には労働者は存在せず、経営者ばかりになる。

そんな組織において、”労働者が労働者”としての立場であり続けるのか。

起業する。独立する。そうした形で組織を離れるのではないか。そんな気がしている。