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【コラム】「人間の能力」を超えた生活を送る現代人 | 祖母と話して考えたこと

未来を思い浮かべたとき、脳内に映し出される光景はどのようなものだろうか。

AIが発達し、ロボットと人間が協力している世界。

医療の発達によって、人類は死ななくなっているのだろうか。

あるいは人間はそこにはもういなくて、荒れ果てた荒野が広がっているだけなのかもしれない。

祖母(90歳)と話していた時に、ふとそんなことを考えました。

自分達の未来にはどのような光景が待ち受けているのだろうと。

未来を予測することはできない

ビジネス本を見ると、「数年後の未来に向けて計画を立てよう」とか「過去から未来は予測できる」などと語られているけれど、未来を予測することなんて果たして可能なのでしょうか。

祖母はあと数年すれば100歳という大台を迎えようとしています。

1世紀の刻を過ごし、日本における時代の変遷を生き抜いてきました。

今から100年前といえば、1918年。

世の中は第一次世界大戦の真っ只中にありました。

お国のために死ぬことが当然とされており、男性の多くは成人を迎える前に戦士として戦場に赴いていました。

そして残された人たちは、攻撃から逃れるために疎開したり、防空壕に隠れたりしていたそうです。

食べ物は十分に与えられず、子どもの命は簡単に失われてしまう。

そんな時代だったのです。

その後も日本は戦争を繰り返し、荒れ果てた荒野をあちこちに生み出してしまいました。

時は流れ、2018年。

日本は戦争があったことなど信じられないような平和な国になっています。

食べ物は十分すぎるほど溢れかえり、世界一安全であると言われるほど、僕たちの命は守られている状態。

加えて、

  • テレビ
  • 携帯電話
  • インターネット
  • 自動車

といった便利な道具が、生活を覆い尽くすようになりました。

それらは、ほんの数十年の内に生まれ、僕たちの日常を変えてきたわけです。

携帯電話の登場によって、世界中の人といつでもどこでも会話ができるようになりました。

テレビをつければ「芸能人の生活」や「今までは知る由もなかった人」たちを垣間見ることができます。

そして自動車に乗れば全国各地に移動ができ、飛行機に乗れば世界中を訪れることができる。

きっとこんな未来がくるなんて誰も予測できなかったはずです。

昔話の中の世界

祖母に話しを聞くと、若い頃には山へ芝刈りに行って、川へ洗濯をしにいくのが当たり前の生活だったそうです。

朝早くには田んぼへ出かけ、日が沈む頃には家路につくような生活。

昔々あるところにおじいさんとおばあさんがおりました

おじいさんは山へ芝刈りに、おばあさんは川へ洗濯に行きました

桃太郎の冒頭にあるような生活が、100年ほど前には存在していたのです。

そんな時代に生まれた祖母は、今の世の中をどのような思いで見つめているのだろう。

そんな風にふと考えたわけです。

ドラえもんで描かれる22世紀を夢物語だと僕たちが考えるように、祖母からすると現代は夢物語にいるようなものなのかもしれません。

身の丈に合った生活を忘れないでおきたい

このように、社会は100年ほどの間にすさまじい発展を遂げました。

あらゆるものが便利になり、人間のスケール以上のもので溢れかえるようになりました。

  • 膨大な情報量
  • 自動車や飛行といった鉄の塊
  • 高くそびえ立つ高層ビル

それらは、知らず知らずのうちに人間の生活と同化しつつあるように感じます。

昔は歩いて移動できる範囲が仕事場だったのに、電車や車が遠方への移動を可能したため、都市部で働く人が増えていきました。

地域の人たちや本からしか手に入らなかった情報は、インターネットのお陰で簡単に手に入るようになった。

もちろん不便が便利になり、生産性が向上するのは素晴らしいことだと思います。

でも、ふと「これが正解なのだろうか?」と立ち止まりたくなるのも事実です。

いつの間にか僕たちの生活は、

「人間の能力」で対応できるものではなく、「人+ 機械」で対応できるものが、標準になってしまったんじゃないか

と感じるのです。

電話で連絡が取れてしまうがために、いつでも仕事の電話が掛かってくる。

新幹線に乗れば通えてしまうがために、遠方に出張ができたり、県をまたいで通勤したりするようになる。

人間の限界を超えた状態で日常生活を送るのは、とても生き苦しいものです。

実際大多数の人たちは、現状を「当たり前」のこととして認識しているように感じます。

そしてこの状況が知らずしらずの内に、心の澱が堆積してくように、僕たちの負担になっているんじゃないかと思うわけです。

たまに立ち止まって、今の状況を見つめ直してみるとよいかもしれません。

自分は「人間の能力以上のことを当たり前」として認識していないだろうか?

もっとペースを落としてもいいんじゃないだろうか?

といった具合に考えることが必要だと感じた、とある一日の備忘録。