季節の変わり目に開催される、定期的な飲み会。
それは「職場の人たちとの仲を深めるためには必要なものだ!」と言われるけれど、果たして飲み会は同僚との仲を深める効果があるのだろうか?
今日はそんなお話。
僕自身、「飲み会」自体は決して嫌いではない。
お酒はめちゃくちゃ好きということはないけれど、
飲み会の雰囲気や気が合う人たちと食べるご飯はとても好きだ。
お酒を飲むと、開放的な気分になれるし普段は言えないような本音が話せることもある。
飲み会は仕事の延長線?
ただ職場で行われるような飲み会は、心の底から楽しいとは思えない。
そもそもお互いの共通点がないので、自然と話題は仕事の話になってしまう。
無礼講とは言いつつも、飲み会はあくまで職場の延長線上。
上司は上司であり、部下は部下。
グラスがあいたらビールを注ぎ、料理がきたら取り分ける。
これはお金を払って仕事をしているのと同じなんじゃなかろうか。
聞きたくもない話を延々と聞かされ、「へー、そんなんですね。」という無難な相槌打ちながら、ひたすら時間が過ぎるのを待つ。
本当にみんな楽しんでいるのだろうか?
飲みニケーションは死語だと言われて久しいけれど、いまだに飲み会の素晴らしさを説く人は多い。
仕事中だけでは埋められない溝を飲み会は解消してくれる。同僚たちとの親睦を深めてくれるのだと。
たしかに、飲み会を行うことで親睦や人脈が得られるケースもあるのだろう。
節目ごとに行われる行事として、プラスに捉えられている方もいるのだと思うし、すべての飲み会がダメだと言っているわけではない。
飲み会にこだわる必要はあるのか?
ただ、飲み会をすれば親睦が深められる思うのは、考え直した方がいいかもしれない。
あくまで飲み会は、コミュニケーションを促進するための手段であって、結果ではないと思っている。
気の合う人と飲みにいければ仲は深まるだろうが、合わない人と飲みにいったところで仲が深まることはほとんどない。
むしろ、相手と合わないとわかってしまったことで、普段の仕事に支障が出る可能性もあるし、そもそも嫌な人と過ごすことは精神衛生上にも良くない。
無駄なストレスだって抱えてしまうだろう。
別に仕事終わりに開催しなくても、定期的に1on1で面談をしたり、昼食を食べにいくという手段をとってもいいんじゃないかな。
なぜ「飲み会」という一つの手段にこだわる必要があるのかが疑問でならないんです。
気が合うか、合わないかがすべて
会社の人間関係は、ガチャくじのようなものだ。
入社前には、どんな人たちと働くのか、人間関係を選択することができない。
希望の配属にならなければ、勤務地も思うようにはならないこともある。
当然ながら、合わない同僚やチームになってしまうことがあるので、「とりあえず飲みにいけばコミュニケーション不足は解決される」というのは、安易な発言に聞こえてしまう。
どんなに頑張っても、合わない人とは合わない。
感情に蓋をしたまま、表面上だけ有効的に振る舞うのは非常に疲れる。
学生の頃には当たり前だった、好きな人とは深く付き合い、苦手な人とはそれなりに付き合っておく。
基本的な人間関係の原則とも言える振る舞い方が、社会人になると色々な圧力で歪んでくるんじゃないかな。
立場とか権力とか、打算や欺瞞なんかで。
最後に
あくまで飲み会は、コミュニケーションの促進装置であって、必ずしもお互いの仲を担保するものでない。
結局合う人とは合うし、合わない人とは合わない。
お互いのバックボーンはみんな違うのだから、一緒に飲めば仲良くなれると考えるのは根本的に間違っていると思いますね。