仕事

会社との距離感を意識する 会社員にとって、会社は”取引先”であることを忘れずに

大学を卒業して働き始めた頃、会社のお偉いさんから次のような助言を頂いた。

「これから、皆さんは社会人です。責任感を持って、プロフェッショナルの職業人として仕事に取り組みましょう」と。

社会人と学生は違う。
学生生活が終わり、社会人となった4月1日を境目に、プロ意識や責任感を持つことを要求されるのである。

”社会人”という都合のいい言葉

正直僕は、このような言葉をあまり間に受けるべきではないと思っている。

それよりも、「いきなりそんなこと言われても、、、」「なぜ昨日まで学生だったのに、いきなり社会人としての振る舞いを要求されるのか」。

一体なぜ?
いう疑問を持って欲しいと思っている。

そして、会社のことを全てだと思わず、ある一定の距離感を会社との間に取っておいた方がいいんじゃないかと思う。

会社との距離感を保つ

日本型経営は、”社員は家族と一緒”、”生きるも死ぬも一心同体”。
強い家族のような共同体を形成する中で、成長を遂げてきたと語られることがある。

会社は社員を守り、社員は会社に滅私奉公する。
会社が潤うことで、共同体の一員である社員も潤う。
江戸時代でいう御恩と奉公の関係性がそこにはあったので、以前までなら、それでもよかったのかもしれない。

けれども今は大企業でも簡単に倒産するし、企業の存続年数がどんどん短くなっているような時代だ。

会社は利益を上げるのに四苦八苦しているし、命令に従っていれば必ずしも報われるとは限らない。

「今は会社が危機的な状況だから我慢してくれ」「社員は会社のために尽くすのが当然だろう」といった要求に応え続けても、利益がでなければ会社は簡単に社員だって切る。
自身が生き残るために。

それならば、会社員は会社との関係性について見直す必要があるし、ある一定の距離感を保ち、対等な契約関係にあることを意識するべきなのだと思う。

労働者は、会社に”労働力”を提供し、その対価として賃金を得る。

至く当然の約束ごとであるにも関わらず、僕たちはその約束事を意識する機会がほとんどない。

会社の命令は絶対であって、逆らえない。自分の意思を殺し、会社に従う。
まるで檻に入れられた動物が食べ物をもらえないと生きていけないと思っているかのごとく、僕たちは会社に怯え、意思を表明することができなくなっているんじゃないか。

”会社の目標”と”個人の目標”は違う

会社と自分自身とを重ね合わせることは、危険を伴う。
会社の漕ぐ舵に従っていれば、目的地へとたどり着けるとは考えない方がいい。

その船は本当に、自分の思い描いた目的地へと向かっているのだろうか?
途中で転覆したりしないだろうか?

常に意識しながら、方向を確認した方がいいと思う。
そして、もし途中で「自分の思っていたのと違う」と感じたら、違う船に乗り乗り換えるという選択肢も視野に入れておくべきだ。

社長と社員は、立ち位置が違うコトを意識すべし

こうした考え方は、ある意味ドライで冷淡に聞こえるかもしれないが、両者の立ち位置を明確にしておくことは、関係性を保つ上で大切だと思う。

距離感が近すぎると甘えが生じ、結果として弱い立場の者(労働者)ばかりが冷や飯を食わされることになりかねない。
それに、会社側にしたって、本来定義されていたルールが形骸化することで、会社として堕落していく可能性もある。

ある一定の距離感を保つことで、こうした事態を避けることができるだろう。

会社員として働くために、僕たちは組織のルールや思想を知らずしらずに植え付けられていくだろう。

段々と会社との距離感はなくなり、その組織のルールや思想は、世間一般の常識だと錯覚するようになるかもしれない。
同期や先輩たちのように、会社の思想に肩までどっぷりと使った人たちの存在を知ることにもなると思う。

確かに、他者に身をまかせるのは楽で安心だ。
意思決定することもなく、決められたことを決められた通りに受け入れるというのは。

しかし、その先には手痛いしっぺ返しが待っているかもしれない。
その楽で安心な環境は、この先何十年とは恐らく続くことはないし、ちょっとした状況や環境の変化で簡単に覆るのだから。

最後に

ある一定の距離感を保つということ。会社と自分自身を客観視しながら、どこに向かうべきか定期的に見直すこと。

自分の人生の目的地を決めるのは、他の誰でもない”自分”だということを肝に銘じよう。

会社員として働くのであれば、あくまで会社は取引先であることを忘れないでいたい。