読書

物事には必ず二面性がある | 文章の持つ”利”と”毒”を意識する『真贋』 吉本隆明著

世の中で”当たり前”とされていることは、本当に”当たり前”なのだろうか?

例えば、小説や詩を読むことは知識を高めたり、心を豊かにする素晴らしい行為だと思われています。

もしもあなたが何とはなしに「その通りだ!」と思っているのであれば、時には疑うことも必要なのかもしれません。

吉本隆明著「真贋」を読みました。

本書は「自分の頭で考えること」の大切さを教えてくれます。

  • 新聞に書いてあったから
  • 有名な、あの人が言っていたから
  • みんながしていることだから

僕たちの言動や行動は、”他者”によって簡単に左右されてしまいます。

もちろんそれで、正しいこともあるけれど、すべてが正しいとは限りません。

与えられた情報を元に、自分の頭で、真剣に思考を突き詰めてみること。

その重要性を教えてくれる一冊になっています。

どんなものにだって、”良いところ”と”悪いところ”がある

物事には必ず、良い面と悪い面があるもの。

一見すると”プラス”にしか思えないようなことでも、突き詰めて考えてみると、「実は悪影響を受けている部分があるのでは?」

という側面が見えてくるものです。

例えば本を読むことには、””と””が存在しています。

  • 人の気持ちが理解しやすくなる
  • 知らない知識や言葉が増える
  • 自分の気持ちを慰めたり、勇気がもらえる

文学を読めば、このような”利”が得られるかもしれません。

しかし、一方で”毒”も持ち合わせているんですね。

それは例えば、

  • 知らない世界を知ることで、現状に満足できなくなる

  • 現実よりも、本の世界にのめり込んでしまう

  • 新しい学びを得たことで、人格が変わってしまう

といったように。

詩や文章には”毒”がある

著者は文学に携わるものとして、詩や文章を書くことで、”毒”が回っていることを痛感した経験があるそうです。

実は、僕はまだ若い頃、自分の毒について深く考えさせられた苦い思い出があります。

六○年安保闘争のときに、僕は学生さんたちと接する場面が多くなっていましたが、なかには、闘争が終わったときに、ただ終わったとは思えなくて、うまくいかずに挫折して自殺した人も何人かいました。

知り合いから、「あいつは自殺しました。葬式は××でやるみたいです」
という情報がまわってきたら、僕はできる限り出かけるようにしていました。

のそのそと出かけていくと、親御さんにあからさまに怒りの気持ちをぶつけられることがありました。

「あんたの書いたものなんか読まないで、大学でちゃんと勉強していれば、
息子はこんなことにならなかったはずだ」というわけです。

面と向かってはっきりという人もいましたし、暗にほのめかす人もいました。

p35

何気なく書いた文章が、他者の人生を大きく変えてしまうことがあります。

正しいと思って書いた文章で、

  • 人が死んでしまったり
  • 争いに発展したり
  • 心の病に侵されてしまう

ことだってありえます。

だからこそ、文章を書く人間は、自分の書いた文章に責任を持つ必要があるのかもしれません。

自分の”毒”に責任を持つ

おそらく、文章がこの世からなくなることはないでしょう。

それは、文章を書くことで「あなたの文章があってよかった」という賞賛を受けたい筆者と、「この文章のおかげで気持ちが慰められた」という読者が、求め合うからです。

僕がいま書いているこのブログの文章だって、「誰か一人の心にでも届けば」という気持ちで書いていますし、共感されたり、勇気づけられる人がいれば、この上なく嬉しいです。

けれども、この気持ちが強くなればなるほど、”毒”の回る可能性は高くなる。

  • 自分の気持ちを押し付けたり

  • 都合のいいように他者を煽動したり

  • 価値観を変えてしまう

負の影響を、読者に与えてしまう可能性が出てくるのです。

だからこそ、文章を書く人間は、自分の毒に責任を持つ必要があるんじゃないだろうか?

今このブログに書いている文章は、誰に読まれるかわかりません。

子供が読むかもしれないし、お年寄りが読者になる可能性だってあります。

読書に利と毒の二面性があるように、人間だって善と悪の二面性を持っている。

100%正しい人間などいないし、”いかにも正しそうな意見“が書かれていても、間違っていることは往々にしてあります。

だからこそ文章を書く際には、

  • 人間は完璧な存在じゃない

  • どこかしらで、毒に侵されているんだ

  • 間違ったことを書いてしまうかもしれない

ということを、肝に命じておく必要があるんじゃないかな。

毒というのは利と一緒にある。

そして逆説的な言い方をすると、毒は全身にまわらないと一丁前にならない、という印象もあります。

一丁前の作家でも詩人でも、文字を書いて仕事をしている人は、必ず毒が回っています。

そういう人は、せめて毒をそのまま出さないようにしたり、あるいは毒を超越するようにしたりと、絶えず考え続けることで、かろうじて均衡を保っているというのが妥当なところでしょう。

p40

最後に

個人ブログという、小さな意見の発信場であれ、”文章を書いて人に届ける”という意味においては、僕自身にも毒が回っている側面があるのだと感じています。

誰かの共感を呼んだり、勇気を呼び起こすことができる一方で、人を傷つけ、苦しめることもある。

文章にはそんな二面性があることを、頭の片隅に置きつつ、これからもブログを書いていけたらと思います。

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