他人の失敗には厳しいけれど、自分の失敗には甘い。
ちょっとした粗を見つけては指摘を繰り返し、自分のミスは隠蔽する。
社会に出るとそんな人に大勢で会う。
自分の失敗を受け入れるのは、精神的にきついです。
失敗したという屈辱感を味わうことにもなるし、周囲からは「仕事のできない使えない奴」という烙印を押されてしまうかもしれません。
でも誰だって働き始めた頃は、目上の人たちに囲まれ、怒られながらも必死に努力していたんじゃなかろうか。
ミスをすれば、「次はできるようになろう!」と意気込んでいただろうし、上司のようになりたいと憧れを抱いていたはずだ。
そして、何とか周囲に追いつこう、追い越そうという気持ちが人の成長に一役買っていたんじゃないかな。
欠点を把握する
成長する上では、自分の欠点やミスを的確に把握することが重要だ。
指摘されたことを受け入れ、課題として認識できるのなら、成長の糧にできる。
なぜなら、自分で気づく失敗と、他者から指摘される欠点には大きな違いがあるからだ。
この違いを適切に理解できると、自分の考えるべき課題が見えてくるんじゃないかと僕は思う。
ただ、頭では他者からの意見の重要性を理解できていても、実際に受けいれるのは結構難しい。
自分の考え方や、やり方が否定されたと感じてしまう人もいると思う。
特に仕事だと、単純な好き嫌いではなく、利害関係が絡んできます。
親切にしてくれる人もいれば、自分のことが嫌いで貶めてやろうと考えている人だっている。
素直に指摘を受け入れていれば、不利益を被ることも出てくる。
かといって、自分へ向けられた周囲からの声をシャットアウトしてしまえば、本当に大切な声も届かなくなってしまう。
王様の耳はロバの耳じゃないですが、自分にとって都合のいい話ばかりを信じるようになってしまう。
その結果、本来得られたはずの利益や成長の機会を逃してしまうんです。
これじゃあ、もったいないじゃないですか。
人は易きに流れる
たしかに聞こえのいい話は、居心地がいいでしょう。
知りたくも聞きたくもない欠点を見ないようにすれば、その世界はすべてがバラ色で美しいものになる。
仮に嫌々入ってきたとしても、失敗にいろいろと理由をつけて正当化してしまえば、精神的に傷つかなくて済む。
だから多くの人は、楽な方、楽な方へと流れていくのです。
事実を受け入れる
事実は時に残酷で非情なものです。
好きな人に嫌われているかもしれないし、努力なんてしなくても才能でカバーできてしまう人がいる。
そんなはずがない!と目の前の事実を否定したところで現実は変わりません。
辛くても事実を一度受け入れてみませんか?
良薬は口に苦しということわざがあるように、辛く苦しい事実は、僕たちに新たな道を示してくれるかもしれません。
思いもしなかった結論に辿り着けるかもしれないし、欠点を知ることで、より一層成長することができるかもしれません。
快適さに安住していると、自分が完成している存在だと勘違いしてしまうんじゃなかろうか。
本来であれば、まだまだ伸び代があって発展途上なのにも関わらず、
安住できることで、自分は優秀で出来る奴だと錯覚してしてしまうのかもしれません。
快適で安心できるということは、裏を返せば、新しい刺激も失敗もないということです。
安住できる環境に留まっているのであれば、その間は成長が止まっているんです。
失敗を繰り返し、事実を受け入れながら成長している人とは、どんどん差は開いていくことになるはずです。
これを避けたいのなら、失敗やミスを受け入れて課題を持ち続ける必要がある。
前進し続けるという意思を持ち、失敗から課題を見出していく。
常に学び続ける気持ちを大切にしたいですね。