思い悩むくらいなら、一歩踏み出してみよう!
いたってありふれたアドバイスである。
- それができたら苦労しない
- 失敗するのが怖いから悩んでるんだよ
前に踏み出せない理由はいろいろあると思う。
ただ以外とやってみると「この程度か?」と思うことは多いんじゃないかな。
当記事では、以下の2点を中心にご紹介していきます。
- 考えるだけではなく行動しよう
- 考えているだけでは行き詰まる
走り出せばアイデアが湧いてくる
このブログを始める前、僕は文章を書くのが苦手だった。
学生の頃は読書感想文が大の苦手だったし、ちょっとしたメールを打つだけでも何を書こうか思い悩んでしまうくらいだった。
そんな苦手を克服したくて始めたのが理由の一つなのだけれど、ブログを始めて学んだことは、”とりあえず書き始めてみることが大切”だということだった。
パソコンの前に座っているだけでは、なかなかアイデアは湧いてこない。
しかし書き始めてみると、次から次へと書きたいことが湧き出てくる。
そう、何を書くかというアイデアは、「考えているとき」ではなく、「書いている最中に浮かぶ」ということだ。
この法則は、文章だけに限らない。
様々な領域においても同様のことが起こる。
たとえば、スポーツ選手は頭で考えるのではなく、実際に身体を動かしながら技術を習得する。
新製品が市場に受け入れられるかどうかは、実際に市場へ出してみて、顧客の反応をみなければわからない。
世界は絶えず変化している。
あらゆるものは複雑に混じり合っていて、単純は理解できない。
そのため、先行きを完璧に予測できる人はいないし、どれだけ歴史を学んでも、「こういう傾向があるかもしれない」といった予測が限界なのである。
向こう側に何があるかを知りたければ、一歩を踏み出さなくてはならない。
考えるだけではダメで、行動しなければならないのだ。
考え続けても、すべては理解できない
人生は決断の連続である。
今後どのようなキャリアを歩んでいけばいいか。
結婚相手は本当にこの人でいいのだろうか。
投資する会社として問題ないだろうか。
人生にとって重要な事柄であるほど、僕たちは少しでも多くの情報を集め、選択の足しにしようとする。
もちろん闇雲に決断するよりは、できる限りの情報を集め、検討を重ねが方がいい。
けれども、いずれは先行きが不透明になる地点へ辿り着く。
つまり、思考の「飽和点」に辿りつくことを想定しておく必要がある。
例えば仕事で思い悩んだとき。
今後のキャリアを考えた時、他の道へいくか、それとも今の場所に留まるか。
あなたは市場を調査をしたり、自身の不得意を洗い出す、といった振り返りを行うかもしれない。
ただし、それもいずれは行き止まりに辿りつく。
そうなった時は、頭の中で考えていても仕方がない。
行動を起こさなければ新たな気付きは得られないことを理解しよう。
考える方が、行動するより簡単
考えるのは意外と簡単である。
そもそも”考える”という行為は、自己完結できる。
失敗しても文句を言われないし、誰にも批判されることがない。
けれども行動すれば、他者の評価を受けることになる。
つまり、「行動する = 世界に身をさらす」ことに繋がるのだ。
なので時にはバカにされ、笑われることもあるだろう。
失敗すれば、「俺は失敗すると思ってたよ」と知ったような口ぶりでコメントされるかもしれない。
考えているだけならリスクはゼロだが、行動すればリスクは確実にゼロより高くなる。
行動に移せない人が多いのは、これが理由なのだ。
言うは易し、行うは難し。
わかっていても踏み出せないことは僕自身もよくあるけれど、前に進まなければ堂々巡りが続くだけなのである。
とにかく行動する
ウォルト・ディズニーは”物事をスタートする大切さ“について、次のような言葉を残している。
ものごとをスタートさせる方法は、話すことを止めて、とにかく手を動かすことだ
また小説家の村上春樹は、小説を書く際には結論を意識して書いているわけではないという。
登場人物たちが勝手に会話を繰り広げる。それをただ、文章として書き起こすだけだと。
これは人生にも当てはまる。
人生において自分が何を求めているかを知るには、何かを始めてみるしかない。
考えているだけでは、何も手に入らない。
行動を起こす中で、初めて自身の望むものが見えてくるのである。
最後に
心理学には、「自己内観における錯覚」という言葉がある。
- 自分に何が向いているか
- どんな目標があり
- 人生の意義をどのように設定するか
これは思考を振り返るだけで、自己理解ができるという「思い込み」表す言葉である。
実際には、自分の感情を振り返ったところで大して何もわからない。
ネガティブの渦に巻き込まれ、とりとめのない感情に一喜一憂し、思考の堂々巡りを続けるだけだ。
ある程度の地点に来たら、一歩踏み出してみよう。
検討できるところがなくなったなら、それは行動しろという合図である。