仕事

消費への欲望がない人たち もう物なんて必要ない?  

やる気なさそうに見られるコトが多い。

確かに物欲はあまりないので、車が欲しい、ブランド物が欲しいといった気持ちはない。

以前働いていた会社では、バブルを経験している方たちから、「欲しいものがないなんて嘘やろ?」、「何やっている時が楽しいんや?」と不思議がられていた。

こちらからすると、なぜそんなに欲しいものがあるのかがよくわからない。

仕事やパソコンがあって、毎日ある程度好きなものが食べれて、友人や家族がいる。
正直それだけでかなり満足している。

たしかに昔の日本は貧しかった。

戦後は焼け野原が広がっていたし、満足に食べるコトすら出来なかった。戦争を切り抜けた祖母の話では、戦時中の子どもは満足に食べ物はないし、学校にも行けなかったと聞いたことがある。
それほど、現代の僕たちとは異なる環境にあったのだ。

最低限の”物”があれば、十分満たされている

そうした世代が”物”を希求する気持ちは、分かる気もする。

しかし、それは最低限の”物”で十分じゃないかと思うのだ。

別にブランドや一流のものである必要はなくて、最低限の機能や性能を持ったものであればいいと。

例えば、ブランド店に行けば、数百万円の時計が並んでいる。もしあなたがその高級時計を身に付けた暁には、一体何が手に入るのだろう。

高級時計を身に着けているというステータス?気持ちのいい肌触り感?周囲への優越感?高級品を身に着けているという自信?なのだろうか。

もちろん沢山の人が商品を購入し、それに見合うと思われるだけの価値を提供しているコトは凄いと思っている。

けれど僕にはその価値観は理解出来ないし、真似したいとは到底思えない。

なぜ「”物”を媒介とした欲求=欲望の強さ」になるのだろう。

幸せな家庭を築きたいとか、自分で物を作りたいだとか、平凡な毎日を送りたいだとか、そんな欲求は欲望ではないのだろうか。
金銭で解決できる欲望よりも、これらの欲望を達成する方が難しいのではないかと思うのだけれど。

価値観の押しつけだけは、止めて欲しい

東日本大震災を境に、日本人の価値観が変わりだしたと言われている。

大量消費や個人的な成功を納めたとしても、天災は簡単にそんな物を飲み込んでしまう。
それに所詮人間の作り上げたものなど、自然の前では無力だ。

失ってきた人との繋がりや平凡な生活こそが豊かなものなんじゃないの?という価値観に僕たちの意識は変わりつつあるのかもしれない。

素晴らしいものを沢山手に入れるコトが唯一の幸福だと感じている人は、そうじゃない価値観を持つ人の存在が信じられない。

僕は、今このブログを書いている瞬間を刺激的な遊びだと感じているし、友人と話す何気ない会話に極上の喜び感じるのだけれど、この喜びは”消費することの喜び”には勝らないものなのだろうか?

別に僕は、「消費するコトを喜びにしている人」を否定している訳ではない。

みんな考え方や価値観は違うので、喜びを感じるのであれば、消費することを楽しめばいいと思う。

ただ、それを人に押し付けるのだけは止めて欲しい。

価値観はそんなに簡単に変わらないし、心の底から突き動かされるような衝動なしには、変わるコトがないからだ。

最後に

僕は年齢的に「これだからゆとりは~」と言われることが多い。

たしかに年代が違えば、育ってきた風土が違う。
時代によって、形成されていく価値観もきっとあるのだろう。
ただ、それを他人に押し付けてはいけないのだと思う。

若者世代は、年上世代に価値観を押し付けているだろうか?
時代の流れに適応できない事を言い訳にして、若者たちの批判を行ってはいないだろうか?

どの世代にも強みがあり弱みがある。その弱点をお互いに補いあうコトが、よりより社会を形作る第一歩なのではないだろうか?