仕事

会社員に向いていない人の4つの特徴

会社に行くのが辛い。もしかしたら、自分はサラリーマンに向いていないのではないか。

学校を卒業し、働き出した大人が一度は通る道なのではないかと思う。

これから40年以上、いや下手をしたら一生を働いて過ごさなければならない可能性がある場所。会社で働くのは大変だし、早く会社を辞めたい。けれども、働けなければ収入が得られない。

辞めたいけれども辞められない。そんなジレンマに毎日頭を悩ましている人は多いのではないだろうか。

実は、僕自身もまったく同じことで悩んでいる一人だ。

実際、新卒で入社した企業は1年半ほどで辞めてしまったし、今働いている会社だって、転職を考えている。

周りの友人たちが、長年同じ企業で勤め続けているのを横目に、安住の地を探して求めている自分がいるのだ。
客観的に見れば、社会不適合者に含まれるんじゃないかと思う。
なぜなら、自分の気分次第で出社時間をずらすし、会社のために頑張ろうという気概はまったくもっていない。それに、飲み会には基本的に出席せず、周囲とのコミュニケーションも苦手だからだ。

こんな人間が、円滑に会社で働けるわけがない。

いつの時代にも、社会に適合できない人間は少なからずいるものである。
夏目漱石や芥川龍之介だって、小説が売れていなければ、現代でいうニートになっていたかもしれない。社会不適合者の烙印を押されていた可能性だってある。

では一体、社会に適合できない人間たちは、どんな考え方や特徴を持っているのだろうか?

今回はそんな会社員に向いていない人たちの特徴を考えて見たいと思う。

組織への帰属意識が希薄

”住めば都”という言葉がある。この言葉は「どんな場所でも住んでしまえば自分の故郷になるんだよ」という意味を持っている。

これを信じるのなら、職場にある程度勤めていれば、”住めば都”になるんじゃない?

そう思われるかもしれないが、不適合者にとってはそうはならない。

会社員として長期間働いても、帰属意識がいつまでも希薄なままであり、組織の一員であると感じるコトが出来ない。

僕自身、自分の会社が倒産しても仕方がないと思っている。それに”同じ会社に勤めている”というラベルだけを見て、協調したいとは思えない。
個人的に周囲と仲良くなれば、”一緒に働いている人のため”には頑張るけれど、組織のために頑張ろうとは思えない。サービス残業をしたり、休日出勤をするなんてもってのほかである。

ところが、多くの会社員にはこの考え方はあまり理解されないと感じている。

「会社のためにみんなで一丸となって頑張ろう!」

「サービス残業なんて当たり前。休日出勤を求められたら、出るのが当然だろう。」

サラリーマンの多くの方は、そんな考え方を持っているように感じている。

これは別に批判しているのではなく、僕自身は、”言われたことを素直に受け入れられる能力”を羨ましく感じているということだ。一々疑問を持たず”会社ってこんなもんだよな〜”と考えられたらどんなに楽だろうと。

けれども、僕にはどうしたってそんな考え方ができない。利益を搾取されていたり、空気を読めという同調圧力や無駄な労力を強要されるのが我慢できない。

最低限、労使で決められた業務はするけれども、それ以上はやりたくない。

規模が大きくなるほど見えなくなる、人間や理念に賛同し、企業を成長させようという気になれないのだ。

ルールに縛られるのが耐えられない

組織には数え切れないルールがある

必要なルールはもちろんあるけれど、いつの間にか、”形骸化したルール”が残ってしまうことも多い。それに必要なルールにしても、無駄で不合理なものがそのまま放置されているのをよく見かける。

会社員に向いていない人は、納得できないしきたりに疑問を感じてしまうのだと思う

「ネット社会になりつつあるのに、いまだになんで紙なんか使ってるの?」

「出勤時間はフレックスにした方が、効率がいいんじゃない?」

会社からすると、「面倒なことばかり言いやがって!」と思われるような、疑問ばかり抱いてしまうのだ。

思い返してみると、学生時代から会社員への適性はわかるのかもしれない。
休み時間や教室でのルールなど、しきたりは多かった。運動会、マラソン大会、文化祭など、学校から決められた行事に従って、周りと協調して楽しめる能力。学校文化にうまく適用できていた人は、会社に入ってもうまくやっていけるんじゃないかと思う。

一方、僕のように何事も捻くれて斜めに構えているような人間は、会社組織に馴染めないんじゃないかと思うのだ。

こだわりが強い

自分の中でしっかりとしたルールがあり、”やりたいこと”、”やりたくないこと”がはっきりしている人は、会社員に向いていないと思う。

会社では、”自分のやりたいこと”ばかりを選択できない。

やりたくもない雑用やよくわからない会議、いきなり告げられる部署移動など、周囲から行動を強制されることがあるからだ。

組織から求められているのは、「はい!わかりました!」と、従うことであって、意見を言うことではない。

決められたことに、黙って従う人間が求められている。

そのため、こだわりが強いと周囲とぶつかる時が必ず来るだろう。

例えば、会社では常に報連相が求められる。上司からの命令には、逐一状況を報告し、連携を取りながら行動に移すというプロセスを選択しなければならない。
もしも、状況報告もせずに仕事を勝手に進めてしまえば、「なぜ俺の命令に従わずに勝手に進やったんだ!」と怒られてしまうだろう。

本来であれば、「はい、すみませんでした」と謝る所だけれど、会社員に向いていない人は、「なぜ報告が必要なのか?」を疑問視してしまう。

自分のやり方でルールに沿った仕事の仕方をしなければ気が済まない。
そんな人は会社員には向いていないのだろう。

自分の目標を持っている

自分の夢や理想がある人も、会社員に向いていないと思う。

ただこれは、会社の目標と自分の目標が一致している場合は、当てはまらない。あくまで、会社の向いている方向と自分の目指す場所が違う場合である。

例えば、プログラマーや将来飲食店を経営したいと思っている人が、修行のために会社で働くのなら理解が出来る。ただ、プログラマーになりたいのに、営業をしていたり、飲食店を開きたいのに、事務の仕事をしているなど、自分の理想とはかけ離れた業種にいるのでは意味がない。

会社は個人の自己実現や目標の手助けはしてくれない。

企業の目的は利益を上げるコトであって、個人を支援することではない。まず初めに会社の理念があって、その理念に共感した上で、その船に乗る必要がある。

僕自身は、現在IT企業で働いているけれど、自分の身に着けたい知識やスキルと企業の方向性が一致していると思っている。なので会社員として働いているけれど、そうでない場合は会社員を続けるのはいずれ限界が来るのではないだろうか。自分は何のために仕事をしているのか、自分のたどり着きたい場所はどこか。

目標があってこそ、初めてプロセスが生きてくる。

指針がない船がどこにも辿りつけないように、目標なく仕事をしている先に待っているのは、「ここではないどこか」でしかない。

最後に

以上、これらに当てはまる人は、会社員に向いていないと僕は思う。短い期間なら耐えられるかもしれないけれど、いずれ限界が来るんじゃないかと思う。今や一生働かなければならない時代になりつあるし、定年や年金の受給年齢は延長され、寿命の長さは飛躍的に向上した。

これからは、会社員として働くだけでなく、個人としても生きる力を身に着ける必要があるのだと思う。