仕事

“才能”は自分の中には存在しないのかもしれない

「何をしたいのかがわからない」と言う人に対して、「好きなことをしたらいいだろう」と
自信を持って伝えられる人は、一体どれくらいいるだろうか?

3年ほど前の僕は、当時会社を辞めて新しい道を模索していた。
自分の好きなことをして、自由に生きていきたいと願っていたし、1日でも早く自分に適した仕事を見つける、あるいは作って成功したいと思っていた。
毎日、理想と現実とのギャップに苛立ちを募らせながら、焦りと気負いで心は絡め取られそうになっていた。

その頃、ある言葉にであってハッとしたことを今でも覚えている。

自分が好きなことが必ずどこかにあって、自分がそれにふさわしい才能をもっているっていうふうに思い込んでしまった段階から、
なにかこう、「他者」とのつながりを断ち切ってしまうようなこともあると思うの。

参考:「おとなの小論文教室」p112

自分に合った好きなものはどこかにあるし、才能があれば活躍の場は次第に増える。
才能があることが、なぜ他者との繋がりを断ち切ることにつながるのか?

当時はよくわからないと感じた一方で、胸に棘が刺さったような違和感を覚えたんです。

そして、今はなんとなくではあるけれどその意味がわかる。

作家の養老孟司さんは、「月刊文藝春秋」で「天才」について、こんな言葉を残している。

「天才の条件は世の中に広く理解されることである」と。

例えば、中国古典でよく出てくる食客。斉の孟嘗君などは三千人もの食客を養っており、彼らは何らかの一芸に秀でていたという。

物を盗むのが得意な者、鳥の鳴き真似が上手い者。彼らのおかげで孟嘗君は命を救われた。