「小学生」、「中学生」、「学生」、「社会人」といったように、僕たちはいつもある括りの中に収められています。
いつの間にか、知らない間に僕たちはその輪の中に入っているのです。
ところで、皆さんの中には子供時代、早く大人になりたい! そう思った人も多いのではないでしょうか。そして、気づいたら大人になっていた。そんな人が大半だと思います。
では「大人」って一体何でしょう。何となくのイメージは出来てもこういうものだ、と言い切れる人は少ないのではないでしょうか。そう、大人の定義って曖昧なんです。
今回、神戸女学院大学の名誉教授である、内田樹さんの書いた書籍「期間限定の思想 「おじさん」的思考2 (角川文庫)」を読みました。
その中にヒントが書かれていたのでご紹介したいと思います。
すでに答えは出ている
「大人ってどういうことですか?」。
その質問をした人は、実はすでにその答えを知っているのです。
この問いかけの内には二つの言明がすでに含まれている。ひとつは「私は子どもです」。ひとつは「あなたは大人です」だ。
「どうして、そういうことになるんですか?」
だってそうだろ。「・・・とはどういうことですが?」という問いは、ふつう「答えを知らない人」が「答えを知っているはずの人」に向ける言葉だからだ。
そして、「誰かが、自分には解けない問いの答えを知っている」と考えること、実はこれが「子ども」の定義なのだ。
そして、「子ども」が「答えを知っていると想定している人」のこと、これを「大人」と呼ぶのだ。
質問を投げかけている人は、相手のことを「答えを知っている人」と判断して質問しています。
この時点で相手を大人だと判断していることになるんですね。
「大人」は「子ども」によって作られる
大人とは、お金を稼げる人・知識の豊富な人といった定義をされることがあるかもしれません。
でも大人ってそういった言葉で決められるものではないんです。
「大人」とは「子どもから大人だと思われている人間のことである」。これに尽きる。
「大人」は「子ども」との関係の中にある種の「水位差」としてしか存在しない。誰かに「大人だ」と承認されない限り、「大人」は存在しない。
「大人」というのは、「子ども」から「大人になるにはどうすればいいんですか」と問いかけられた当のその人のことなのだよ。
とても厳しい意見ですね。
「子ども」から認められて初めて「大人」になる。ということは反対に考えると、子どもが認めないということは大人ではないということになります。
大人になってしまった。そう思っていても実は大人になり切れない子どもは沢山いるのかもしれませんね。
「答えを知っている者はいない」と考えるのが大人
先ほどのお話しでは、「子ども」が「答えを知っている人」と認めた人が大人ということでしたよね。
ではどうすればそんな大人になることが出来るのでしょう。
そのためには、まず子どもとは何かについて考えてみなければいけません。内田先生は次のように言っています。
「子ども」は、説明できないことが起こると、その原因を「私の外部にある強大なもの、私の理解を超えたもの」、つまり「あらゆる問いの答えを知っているもの」に帰着させようとする。
「誰かが全部裏で糸を引いているんだ」。そういうふうに考えること、それが「子ども」の危うさだ。
多くの問題の原因は、誰かが裏で手を引いている。
そんな風に、常に「誰かのせい」と考えてしまうのが「子ども」だということです。
日本は「大人」がいない国になっているかも
現在、日本では少子高齢社会・年金などの課題が山積みになっています。
本来であれば、協力し合うべき政党はお互いをののしり合い、蹴落とそうとばかりしています。そして私たち国民も、政治家の批判を行い、悪の根源のように思いこんでしまっているのではないでしょうか。
しかし、今回の話から考えると、私たちの多くが「子ども」だからそのように考えてしまうのかもしれません。
大人であれば、外部に原因を求めずに、まずは自分が行動することから始めるはずです。
そうすれば、子どもからも認められる立派な大人になれるはずです。
まとめ
・「大人って何?」。その質問をした時点で「大人」が何か知っている
・「大人」とは「子どもから大人だと思われている人間のこと」
・子どもは常に誰かが答えを知っていると考える
今回は内田樹さんの本を紹介してきました。
この「期間限定の思想 「おじさん」的思考2 (角川文庫)」は、悩み事を持っている人に、僕がよくオススメする本です。
この本には、仕事・結婚・社会といった様々なことが独自の視点で語られています。きっと皆さんの心にも響く言葉があるはずです。
ぜひ一読してみてください。
それでは今日はこんな感じで。
グッドラック!