自分が普段何気なく会話している時の、話し方や内容を俯瞰してみると、「なんて嫌な奴なんだ」と感じる時があります。
それは話す口調であったり、声質や内容だったりと様々な要素を含んでいるけれど、思い返してみるだけで嫌なやつだと思ってしまいます。
仕事をしている際、ちょっとした感情の変化で、口調は簡単に変わってしまいます。
少しずつ意識的に、話し方に注力していないと、すぐに荒々しい話し方になってしまう。
それは、形状記憶合金のように、意識したとしても、簡単に元に戻ってしまうもの。
だからこそ、意識的に話し方に気を付けるべきだし、棘がある言葉節が丸くなるように日々改善していきたいと思っています。
自分の声を聴いて見ることの大切さ

効果的な方法としてオススメなのが、自分の声を録音する事ではないかと。
普段の何気ない他人とのやり取りを録音してみる、あるいは普段感じている想いの丈を語りかけてみる。
そうする事で、自分が会話している際の息遣いや感情の変化が見えてきます。
鏡の前で自身の身なりを整えるように、自らの声を録音して、実際に自分の耳で聞いて振り返ること。
人のふり見て我がふり直せではなく、自分のふり見て我がふり直せの精神で、振る舞いを顧みる事が重要なんじゃないかと思います。

自己を客観しして、俯瞰する

ところで、「自分を客観視することは、自分だけではなく、他者に対しても寛容になれる重要な手法」なのではないかと感じています。
他人の粗探しや不平不満を言う事は、簡単に出来るものです。
それは、自分と他者は全く異なる存在であり、「自分は特別なんだ」という想いを抱いているからなのだと思います。
自分と他者とを同一視できないからこそ、すぐに不満や批判が言えるのだと思います。
自己の不完全さが分かると、寛容な気持ちになれる
例えば、「ブログを書いたり」「動画を取る」ことで、自己を客観視できるようになるでしょう。
ブログを書いた時は、「素晴らしい文章が書けた!」と思っていても、数日経って見返すと、何が良かったのかわからないような記事が沢山あります。
それらは、Web上に残されていて、常に誰かの目に晒されています。
書いた文字であれ、動画であれ、自分の生み出したものの不完全さを認識することで、「まだまだこれじゃダメだ!」という気持ちに自覚的になれるのだと思います。
その点、芸能人やプロのスポーツ選手が自然に自己を顧みる事が出来るのは、マスメディアに晒されていることも要因一つだろうし、元々客観視する能力が高かったからこそ、特定の領域で活躍出来るようになったのでしょうね。

最後に

自己と他者を比較することは、簡単なようで難しいです。
どうしても人は、他人に厳しく、自分に甘くなるからです。
それを避けるためには、
「他者を見る目で自分を見る」、つまり自己を客観的に見つめるしかありません。
形状記憶合金が戻らないように、常に意識して、客観性を保っていかなければならない。
さもなければ、「自分は特別な人間だ」と思いあがった挙句、ちょっとした揚げ足を取ったり、不平や不満を簡単に吐く大人になってしまいます。
自分に厳しく、他者に対しては寛容に。
自己の不完全さを認識し、些細な事は笑って流せるような心を手に入れたいものです。