人生の中で何を重要視するか。
お金、家族、友人、趣味、それぞれ大切なものは違っても、誰にだってこれだけは譲れないようなものがあるはずです。
僕の場合は、“時間”が最も大切な要素だと思っています。
なるべく、時間に追われず、縛られず、無益だと感じる出来事に充てる時間を減らしたい。
自分にとって、”有益な時間の使い方”をしたいと常々感じています。
時間と焦りと余白
仕事をしていると、どうしても不可抗力的に時間をコントロールされる場面が出てきます。
納期が近いので急ぎで納品して欲しいだとか、急遽予定が前倒しになったとか、自分のコントロール外に時間が飛び出た瞬間、焦りが生まれてくるのです。
この焦りは、仲間がミスをしたから焦るとか、怒られて焦るといった類のものとは少し違っていて、ジワリジワリと喉元を締め付けれられていくのと似た感覚を覚えるのです。
一緒に働く人が時間にルーズだと、ストレスを感じやすいのかもしれません。
納期が先だからといって先延ばしにした挙句、時間ギリギリになってもまだ終わらない。
大切な案件が控えているにも関わらず、時間ギリギリに到着する。
時間に追われるのが目に見えているにも関わらず、「もっと早めに終わらしましょうよ」ともいえない状況に置かれるのは、結構疲れるものなのだと思います。

時間をコントロールできると、ストレスが減った
職場が変わると、ルールや立場が変わります。
フレックスタイム制になり、ある程度出社時間をコントロールできるようになりました。また、指示を出す立場になるコトで、全体を把握し、容量の理解や配分がしやすくなった。
自分の裁量で仕事を前倒し出来るし、仕事の配役を好きに決められることで、時間のコントロールもしやすくなりました。
責任は多少重くはなったけれど、それ以上に時間に焦る機会が減ったことでストレスが軽減されたのではないかと感じています。
これは本当に嬉しいこと。ストレスが大幅に減りました。
その影響もあってか、自分の心に少しばかりの余裕が生まれています。
周りの状況を見る余裕や気遣いをする余白が生まれるようになったんです。
最近気づいた事なのですが、知らずしらずの内にストレスが溜まっていたんだなと。そして、そのはけ口を周囲に求めていたんだと思い知ったんです。
心に余白が必要なように、時間にも余白が必要なのだと思います。
時間に追われる、焦るのは、確かに充実感があるように感じるのかもしれません。
けれども、鉄が雨で少しずつ錆を蓄積するように、心にも澱が積み重なっていきます。そして、気づいた時には身動きが取れなくなってしまうのです。

最後に
時間は誰にでも平等に与えられるものです。
歳を経るごとに、刺激が減り、時の流れは早くなっていきます。
その過程で、”時間”に対する価値は、貴重なものから”日々を何となくやり過ごす”
という程度の、無価値な物に成り下がってしまっているように感じています。
誰にでも与えられた貴重な”時間”を、どのように意識して人生を歩むのか。
時間に焦り、追われながら日々を繰り返すか。
それとも、時間をコントロールした上で、余白の中に新たな価値を芽吹かせるのか。
みなさんはどちらを選択しますか?