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【小商いの哲学】ヒューマンスケールを超えてしまった日本社会 | 【小商いのすすめ】平川克美 著

先日「小商いのすすめ「経済成長」から「縮小均衡」の時代へ」という本を読みました。

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小さく、個人で、少しずつ。

そんな「身の丈に合った働き方」や「週末起業」が注目を浴びています。

きっとご存知の方も多いでしょう。

本書は題名からして、ビジネスに対する指南書のように思われるかもしれません。

しかし実際に読んでみると、実用的なことはほとんど書かれていません。

淡々と「これからの時代を生き抜くために必要な知恵」が描かれていきます。

そのため、小商いに関する情報も少ないです。

「なぜ小商い」が今注目されているかを、日本の歴史を紐解きながら再編した書籍となっています。

有史以来初めての人口減を食い止める方策は、経済成長ではない。

それとは反対の経済成長なしでもやっていける社会を構想することである。

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>>ヒューマンスケールに沿った生き方から人類の身の丈を超えてしまった未来

小商いの哲学

本書では「小商いの哲学」を提示していきます。

ヒューマンスケールを超えてしまった日本社会

人間の手に負える範疇を超えてしまった

なぜ近年、小商いが注目されるようになったのか。

それは「社会がヒューマンスケールを超えてしまった」ことに原因があるのかもしれません。

ヒューマンスケールとは文字通り、「身の丈」とか「身の程」といった意味になります。

つまり、

「人間本来が持つ、能力に見合ったレベル」で、物事が収まっているか

ということなのですね。

社会が人間の能力を超えてしまっているのかな?

現代社会をイメージしてもらえると、納得できるかと思います。

日本国内には、道路が網の目のように張りめぐらされています。

それらは、人間が歩くために作られたものではありません。

車が走るために作られた道路です。

どれだけ人間が努力しようと、車に勝つことはできません。

世界チャンピオンだって、本気で走る車には、到底追いつけないでしょう。

道路は車にとって、便利なものである一方で、歩いている人間にとっては何のメリットもありません。

轢かれる可能性はあるし、危険な場所にしかなりえない。

これはつまり、

道路というのは、人間のヒューマンスケールに沿って作られたものではない

ということになります。

飛行機、高層ビル、船、電車だって、すべて同じです。

人の能力を拡大させるモノを発明することで、私たちの社会は発展を遂げてきたのです。

私たちの能力は、「モノの力」によって拡大していく

天災によって、人間の力は「無限」ではないことに気づいた

私たちは産業革命以降、機械の力を駆使して、能力を拡大しようと努めてきました。

人類の力を結集すれば、どんなものだって作れるし、自由に世界をコントロール出来る。

人間こそが、世界の支配者だ!

と言わんばかりの、振る舞いになっていたようにも感じます。

しかし、2011年3月11日。

東北を襲った大震災は、人々の心を揺さぶりました。

自然が猛威を振るえば、人間の作った社会など簡単に消えてしまう

原発は自分達が作ったはずなのに、暴れ出すと手の施しようがありませんでした。

物は簡単に崩れ去っていきます。

どれだけ長い期間を掛けて作ったものでも、自然の前では無力と化す。

大量生産・大量消費で経済成長を遂げてきた、日本の価値観が揺らぎだしたのです。

スピードを落とし、立ち止まる勇気を持とう!

著者はこのような状況に対して、

  • 本当に経済成長することは、社会の成長と呼べるのか?
  • 生活が便利になることは、成長と呼べるのか?

という、疑問を感じるようになりました。

そして、今私たちが行うべきコトは、

一旦立ち止まるコトなんだ

と気付いたのですね。

立ち止まるには勇気が必要です。

誰もが、もっと成長をとか、もっと元気にとか、もっとアクティブにと唱える時代にあって、立ち止まるということは、内省的になるということであり、動き出すまえに落ち着いて考えるということであり、幾分かは暗い顔つきになることでもあるからです。

それでも、わたしはいまこそ立ち止まって考えるべきだと思っています。

おとなになるとは、落ち着きをもって過去と未来を軽量する時間をもてるようになることであり、日本は十分おとなになるべき時代になっていると思うからです。

物の豊かさを求め、生産だ消費だと言っていた時代はもう終わりです。

今後の日本は、人口が減少し、国の力は弱体化していきます。

加えて、高齢者は増加する一方であり、「全員が一つの方向に向かっていた時代」はしばらくの間訪れないでしょう。

平家物語に次のような、フレーズがあります。

祗園精舎の鐘の声、

諸行無常の響きあり。

娑羅双樹の花の色、

盛者必衰の理をあらわす。

どんなに勢いが盛んな者も必ず衰えるという道理をあらわした一説です。

私たちが次の段階として求められるのは、「おとなとしての成熟した社会」です。

「周囲のお手本」となる、フェーズに入ったのかもしれませんね。

心が満たされない現代人

先ほど少し触れたように、人々の価値観は変わりつつあります。

食べ物に恵まれ、物が溢れた豊かな社会。

それなのに、なぜだか心が満たされない人が増えているんじゃなかろうか。

なぜ、私たちの心は満たされないのか?

私自身もその一人であり、疑問に思っていました。

しかし先日、タイへ1週間訪れる機会があり、その答えが分かった気がしたんです。

タイは日本と違い、水道水は汚くて飲めないし、街は整備されておらず、時間通りに電車は来ない。

それにも関わらず日本では感られない、満足感と充実感を得られたのです。

その理由はこの記事に詳しく書いていますので、気になった方は読んでみて欲しいです。

https://it-information-engineering.com/asia-travel

成熟した「おとな」は魅力的

「ALWAYS 三丁目の夕日」の世界は、なぜ魅力的に映るのか

ところで皆さんは、「ALWAYS 三丁目の夕日」という映画をご存知でしょうか。

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本作は、「昭和」を題材とした、古き良き日本の風景を思い出させてくれる大ヒット映画です。

多くの日本人が熱中し、のめり込んだということは、その映画の中に「惹きつける何か」があったはずです。

そして私たちが熱中した理由に

「昭和のよさ」を感じていたんじゃないかと私は思うのです。

当時の日本人の生活が、なぜ懐かしく、やさしさに満ち溢れたように感じるのか。

少し考えてみたいと思います。

「精神」と「経済」が逆転した?

著者は、東京オリンピック(1964年)以前と以後では、町の風景がまったく違って見えたと言います。

一体、何が風景の違いを生み出したのか?

それは、「精神と経済」のポジションが、逆転してしまったからだというのです。

進歩とか発展とかいう観念は、貧乏という状態のなかにしかないといっています。

貧乏とは若さの別名であり、それは強さとか美しさといったこととも同義であるべきだということであり、人間の本源的な強さというものは貧乏という裸の人間の中だけに宿っているということです。

別の言い方をすれば、野生ということです。

進歩とか発展とは野生の中にしか存在しないと。

富という武器を手に入れると、その瞬間に人間は若さを失ってしまうし、進歩や発展ということとは無縁の存在になるということです。

オリンピック以前は、貧しさの中にも「野生」がありました。

餓えた動物が食料を求め、毎日を死に物狂いで生きるように、貧しければ人間だって、「こんちくしょう!」という根性でぶつかっていける。

けれども時代が進み豊かになるにつれて、ハングリー精神がなくなり「野生」はなくなったのだと。

そして当時の日本は、野性味あふれる大人が支えていたからこそ、魅力的な時代に映るんだというのです。

おとなとは何かということが問題になるでしょうが、とりあえず自前で生きているひとびとだと言っておきましょう。

何にもたれかかって生きているのではなく、自分の足で立ち、自分の頭で考えるということです。

昭和初期のおとなとは、いまだ富を手に入れていないひとびとであり、それゆえ野生と若さを身体の中に蓄えていたひとびとのことだということです。

当時の日本の社会はそういったひとびとにより支えられていたということなのです。

昭和には「オトナ」がいるが、平成には「オトナ」がいない

なぜ昭和初期の日本が魅力的なのか。

それは、現代にはいなくなってしまった「おとな」がいるからです。

もたれ掛かってもびくともしない、絶対的な存在。

そんな安心感を感じさせてくれる存在が、私たちを魅了し、手に入らないモノだからこそ、もっと見たいと思ってしまうのかもしれませんね。

小商いのすすめ

ここでようやく小商いについて触れていきます。

先ほど「おとな」とは「自分の足で立ち、自分の頭で考える人」だとお話しました。

何にももたれかかることなく、子どもを支えてあげられるような人間だと。

つまり小商いとは、「自分の責任で生きていく」という生き方を選択することだと思うのですね。

規模は小さくても、自分の力で稼ぎ、生活の基盤を築いていく。

そのためには社会の中に溶け込み、周囲と共存していく必要があります。

自分の意見を主張するだけでなく、周囲と共に成長し、自分達の力で社会を築いていく。

本来であれば、自分に責任のないことまで、責任を負おうとする態度こそが、「小商い」だとも筆者は指摘しています。

最後に

今、そんな小商いに多数の関心が集まっています。

それは国が貧しくなり、野性味溢れる魅力的な「おとな」が、再び現れようとしているのではないか。

そんな期待をしてしまいます。

この内容だけでは、「小商いのすすめ」に至るまでのロジックで、納得できない部分があったのではないかと感じています。

それは、「小商いの定義」や、「オトナの定義」に至るまでの過程を省いているからです。

しかし、実際に本書を読めば、今回の内容についても「あ~、そういう意味で書いてたのか」と納得して頂けるはずです。

本書は、実用的な書籍ではありません。

読んですぐに、何かが変わるものではないと思います。

しかし、大局的な視点から考察されているため、新たな見方や発見ができることだと思います。

ぜひビジネス書では得られない視野の広がりを体感して欲しいです。

このブログを読んでくださっている「おとな」のあなたなら、自分で考えてどうすべきかを決めていけるはずです。

小商いに興味・関心がある方には、おすすめの一冊です。

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