- 私たちは幼い頃から、国に「労働観」を刷り込まれている?
- 学校で教えるべき「大切」なことって?
- 脱社畜の思考法
以前にご紹介した『脱社畜の働き方』と同じ著者になります。
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日野瑛太郎さんの作品『あ、「やりがい」とかいらないんで、とりあえず残業代ください。』を読みました。
元々好きなブロガーさんだということも、手に取った理由の一つだけれど、題名に思わず惹きつけられてしまったのも大きいです。
とりあえず残業代くださいって笑。
絶対正面切って会社には言えないでしょう。
というわけでその感想をまとめてみたいと思います。
題名のポップさとは裏腹に、中身はしっかりと構成されていて、読んでいる内になるほどな、と共感してしまう箇所が沢山ありました。
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社畜教育は子どもの頃からすでに始まっている
「将来の夢=職業」という考え方
本書を読んでいて特に印象的に感じられたのが、以下の2点です。
- 小学校の段階から社畜への洗脳は始まっている
- 宗教のような「労働観」の刷り込みが行われている
引っくるめて言えば、国が求める労働観が「知らない間に”当たり前”」のものとして刷り込まれているということです。
小学校からなんていくら何でも早すぎでは?
そう思われる方もおられるでしょうが、よくよく思い返してみると、不思議なコトは沢山ありました。
例えば、「将来の夢」を書かなければいけないときです。
小学校では、よく「将来の夢」についての作文を書かされます。
ここでいう「将来の夢」というのは、「将来なりたい職業」を指すという暗黙の了解があります。
「パイロットになりたい」とか「美容師」になりたいといったような、具体的な職業を書けば教師は褒めてくれますが、「毎日ゴロゴロ寝て暮らしたい」とか、「かわいい女の子にちやほやされたい」というようなことを書こうとすると、注意されたり書き直しを命じられたりします。
(『あ、やりがいとかいらないんで残業代ください。』P.90,91より)
どうも学校教育では「将来の夢」は仕事を通じて実現しなければいけない事になっているようです。
(『あ、やりがいとかいらないんで残業代ください。』P.91より)
確かに、「将来の夢=職業」と結び付けて考えるのは、短絡的なのではないかと感じました。
中学校になれば職業体験なるものもありますし、就業先へ行けば、生き生きと働いている大人たちがそこにはいます。
それは給料なんて安くてもいいから、「やりがいさえあればいいじゃん?」と言っているかのように。
子どもの頃から徐々に、「仕事はやりがいがあれば十分だ」という「労働観」を刷り込まれていたのかもしれません。
大切なのは「生き残る」こと
筆者いうには、「本来学校が教えるべきもっと大切なことがあるのではないか?」
ということでした。
どのような仕事観を持つかは人それぞれです。
「やりがい」や「自己実現」を仕事の意味としてしまうのは、あまりにも偏った教育と言わざるを得ないでしょう。
生きていく上で、また様々な経験をしていく中で、個々人の望む形が見えてきます。
それが、その人にとっての「労働観」になるというのが正しい順序なのではないかと思います。
そうであるならば、学校で教えるべきなのは、労働者が自分の身を守る知識なんじゃないかと著者はいいます。
「有給休暇が取得できる条件」や「残業代の請求方法」といった労働者が自分の身を守るために必要な知識は、学校ではほとんど教えてもらえません。
(『あ、やりがいとかいらないんで残業代ください。』P.93より)
どのような生き物であっても、最も高い優先事項は「生き残るコト」です。
いかに生存確率を上げて、リスクから身を守るのか。
今の僕たちの社会に置き換えると、「労働」のリスクを軽減することは生き残るための条件の一つになるでしょう。
「労働者」として大半の人たちが人生を送るのであれば、その対処法を教えなければおかしいんじゃないか。
義務教育である、小・中・高校、就職予備軍としての大学生活、就職活動における洗脳など。
段階ごとに僕たちが「社畜」になるまでの過程が記されています。
社長にとっての「希望」は、従業員にとっての「絶望」かもしれない
本書の大まかな章構成を見てみるとこんな感じです。
- あ、今日は用事があるんで定時に失礼します。-ここがヘンだよ、日本人の働き方
- いえ、それは僕の仕事じゃないんで。-日本のガラパゴス労働を支える「社畜」
- はい、将来の夢は毎日ゴロゴロ寝て暮らすおとです!ー社畜が生まれるメカニズム
- えー「従業員目線」で考えますと・・・ー脱社畜のための8箇条
1章では、日本の職場の現状を分析し、違和感やおかしいんじゃないのといったことを読者に呼びかける形になっています。
- 「社会人」という言葉の理不尽さ
- 「ルール」を無視するのが当たり前
だという風潮に対する疑問などです。
2章では、「社畜」とは何か?
という定義から出発し、言葉が生まれた背景、「社畜」の分類などが行われています。
確かに周りを見渡せば、この分類に当てはまる人がいるなと思ったとともに、「自分自身も同じかもしれない」といった気づきを与えてくれる章になっています。
3章では、「社畜」がどうやって出来上がるのかを、小学校時代から遡り考えていきます。
そして最終章では「脱社畜」するための行動の仕方や思考方法が紹介されています。
どうでしょう。
ざっと外観してみるだけでも、興味のある項目が一つくらい目に留まるんじゃないでしょうか。
もし一つでも面白そうと感じた部分があった人は、試しに読んでみるといいかもしれませんね。
特に最後の章は、「社畜」になってしまった方が今後を考え直すきっかけになる内容になっています。
- 「やりがいに囚われない」
- 「従業員目線を持ち続ける」
- 「会社を取引先と考える」
など、働き始めてから同僚や上司から言われることと真逆のコトが書かれています。
それにもきちんと根拠を示してあります。
もちろん、すべての「脱社畜の考え方」に共感できる人はいないのではないかと思います。
ただ組織の中だけにいると、どうしても社内の考え方やルールを絶対視してしまいがちです。
けれども「そういう考え方もあるんだな!」と、思考の幅を広げることも大切なんじゃないかと思うのですね。
最後に
僕自身は想像していたよりも、楽しんで読むことが出来ました。
題名がインパクトのある本は、辛辣な意見や批判的な語り口調が多いと心して読みましたが、全くそのような心配は必要はありませんでした。
平易な語り口調で状況を分析し、「こういう考えかたもあるよ?」という押しつけがましくない提案。
友人からオススメされているかのような優しさが文章の語り草の中にはあると感じました。
というわけで、簡単ではありますが、本書の感想でした。
最後に、著者が疑問に思っていることを引用して、終わりにしたいと思います。
ここまで読んで、「なんだ当たり前じゃないか」と思った人もいるかもしれません。
その人の認識は、完全に正しいです。
僕がこの本で書いてきたことは、言ってみればすべて「あたりまえ」のことにすぎません。
「過労死は企業による殺人と同じ」
「『社会人の常識』という言葉は、結局何も言ってないに等しい」
「雇われにすぎない従業員に、経営者目線を求めるのはヘンだ」
こういうことは、すべて「あたりまえ」のことです。
問題は、こういった「あたりまえ」のことが、どうも日本では「あたりまえ」とは思われていないようだ、という点にあります。
(『あ、やりがいとかいらないんで残業代ください。』P.164より)
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