「ゲゲゲの鬼太郎」でお馴染みの漫画家、水木しげる先生の著作『ほんまにオレはアホやろか』を読みました。
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本書は水木さんの自叙伝であり、漫画家になるまでの半生や戦争でラバウルに赴いた体験が綴られています。
漫画家として成功されているイメージしかありませんでしたが、その半生は壮絶であり、「人生の道しるべとなる生き方」だと感じました。
2015年にお亡くなりになられましたが、「ゲゲゲの鬼太郎」を始め、執筆された作品は今なお、人々に親しまれています。
本著の帯には、次のような記載があります。
「学校を出てサラリーマンになって、一生の先の先が、みえるといったような生活は、ぼくなんか、苦手だ。
そんなの面白くない」
水木さんは、“当たり前”のレールに乗ることを拒否してきました。
その結果辿り着いたのが、漫画家という職業だったのです。
今回は水木さんの生い立ちを元に、「嫌いなことから逃げても、人生何とかなる」ということをお伝えできればと思います。
落ちこぼれだった少年時代
漫画家として国民的に知られる水木先生ですが、”落第者の烙印を押され続けた人生“でした。
運よく、べつの印刷所に就職できたものの、ここもうまくいかなかった。
仕事の途中で、太鼓屋を見つけ、太鼓をつくるようすがおもしろいので、一日中見ていたりするものだから、「こいつあ、アホとちゃうか」ということになって、これまた、たちまちクビ。
(省略)
仕事もないし、病気だし、ともかく境港へ帰った。
病気はまもなくなおったが、学校へは進めない、勤めも満足にできない、というぼくの処置に、両親はこまってしまった。
水木さんが数々の失敗をし、社会にうまく馴染めないことが、この文章から伺えます。
学校では勉強ができず、就職しても失敗ばかり。
普通の人が当たり前に通過できる、いわゆる”正規ルート”では、いつも躓いてばかりでした。
そのため、人が通らない道を進むしかなかったのですね。
先に繋がっているのかわからない、不安定な道。
ただ自分を捻じ曲げてまで、”当たり前の道”を通る必要がないことは、水木さんの人生を見れば明らかです。
水木さんが、「漫画」で才能を発揮したように、人それぞれ得意・不得意は異なります。
それらはすべて個性であり、本来優劣がつけられないもの。
自分の得意とする場所で頑張ることが大切なんです。
“戦争”への参加
日本は過去に、幾度もの過ちを犯しました。
戦争を繰り返し、数多くの命を犠牲にしてきたのです。
- 第二次世界大戦
- 太平洋戦争
- 真珠湾戦争
現代に生きる私たちにとって、戦争はあくまで歴史上の出来事だと感じるかもしれません。
そう思うかもしれませんが、これは実際にあった出来事なのです。
“お国のために死にたい”という雰囲気
水木さんは軍隊兵として、太平洋戦争に参加した一人です。
行先はガタルカナルにある「ラバウル」という島であり、最後の兵隊として派遣されました。
「戦争中の雰囲気は独特のものだった」、と水木さんは言います。
- お国のために死ぬことが尊いことである
- 戦地から無事に戻ってくるのは悪である
このような雰囲気がありました。
そんな状況ですので、周囲の兵隊たちは、死線を渡ることを渇望していたそうです。
ある種の宗教には、人を洗脳して従わせる力があります。
教祖が言うことは、すべて正しいと感じるように、お国の言う事はすべて正しい。
それはかつて、”一向一揆”で、農民たちが喜びながら死んでいったことを、彷彿とさせます。(浄土真宗の、”死ねば極楽浄土へ行ける”という教えの影響)
“生き残りたい”という想い
けれども水木さんは、「自分は絶対に生き残りたい」という思いを持ち続けたそうです。
軍隊には毎朝掃除を行う習慣があり、掃除をしている間に「土人」が通りかかります。
土人とは、現地人のことを指します。
彼らは何ともゆったりとした動きで、「自分たちとは時間の流れ方が違うのではないか」と感じたそうです。
ある時を境に、水木さんは彼らと交流するようになるわけですが、周囲の兵隊たちからはバカにされていました。
なぜなら、「現地人と交流することは、おかしいことである」と考えられていたからです
自身の価値観を大切にする
けれども、これが結果として、水木さんが生き延びられた理由の一つになったのですね。
慢性の空腹にもだえていたぼくは、それをむさぼり食う。
腹がちくちくなって帰ろうとするぼくに、村人は「マテ」という。
いつも、ただで物を食って帰るから、棒で殴られるんじゃないかと思って、身構えながらふりむくと、大きなパンの実を二つ縄でむすんで、持って帰れというのだ。
落第兵として周囲から蔑まれていたにも関わらず、水木さんは戦争で生き残ることが出来ました。
それには、
「自分が正しいと思った価値観を大切」にし、「自分が楽しい・面白いと感じる場所で過ごした」
ことに要因があるのかもしれません。
土人たちに興味を持ち、彼らの中に溶け込むことで、生き延びる糧を得る。
もちろんそこには、”食べ物をもらうために仲良くする”という打算はありませんでした。
しかしながら結果として「生きるために必要なもの」を手に入れることが出来たのです。
人は周囲の声に流されて、物事の良し悪しを判断してしまいます。
これは違うんじゃない?
と心の片隅で思っていても、他者へ迎合し、大多数の意見に従ってしまう。
水木さんのように、自分の信念に従って、物事を判断する尺度を持ち続けたいものです。
辿りついた、水木しげるの”幸福論”
人生とは何か?
辛い経験を通して、長年考えた結果導きだされたのが、以下の7箇条でした。
- 成功や名誉や勝ち負けを目的に、ことを行ってはならない
- しないでいられないことをし続けなさい
- 他人との比較ではない、あくまで自分のたのしさを追及すべし
- 好きの力を信じる
- 才能と収入は別。
努力は人を裏切ると心得よ - 怠け者になりなさい
- 目に見えない世界を信じる
水木さんの出した自論では、一般的に語られていることが、あっさりと否定されています。
人には、それぞれ個性があります。
そして、好きなものがあれば、嫌いなものもある。
わざわざ、苦手な場所で戦う必要はないんです。
プロ野球選手になれるのは、野球が好きでたまらない人。
プロの音楽家になれるのも、音楽が好きでたまらない人。
好きでなければ、人は継続して、不断の努力を行うことが出来ません。
辛いなら逃げたっていいんです。
好きなもので勝負すれば。
結果が出ない、成果が出ない。
そんな時でも諦めず、好きなことを続けましょう。
それだけが幸福に生きる道へと繋がる。
あなただけのレールを形作るのですから。
最後に
今回は、”水木しげる”さんの人生を通して、「嫌いな事から逃げても、案外うまくいくよ!」ということを、お伝えさせてもらいました。
順風満帆な人生を歩んでこられたと思われがちですが、決してそんなことはありません。
水木さんも、回り道をして、失敗を繰り返した人生だったのです。
僕自身も失敗が多く、「こんなことでいいのだろうか?」と日々感じています。
しかし、この本を読むことで勇気をもらうことが出来ました。
今回は詳しくご紹介しませんでしたが、
水木さんが「漫画家として成功するまでの過程」、あるいは「ゲゲゲの鬼太郎が誕生するまで」といった内容も、本著の中には記載されています。
あなたも、水木さんの生き方に倣って、好きなことで頑張ってみませんか?
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