2017年10月24日。巨大台風21号が日本に上陸しました。
台風名は米国が用意した名前で、「ラン」。文字通り「嵐」という意味ですね。
最大瞬間風速は36メートルとも言われ、非常に強く激しい台風でした。
ぼくの住んでいる滋賀県は、台風や地震といった災害による被害が少ない地域です。生まれて20数年、地震が直撃したことは一度もなく、台風に関しても数度激しいものが来た程度でした。
けれども、今回の台風は違いました。直撃ではないものの、土砂災害や断水・停電といった災害をもたらしていったのです。
全国的には、湖西線の近江舞子駅付近で、9本の電柱が倒れた架線トラブルが有名でしょうか。
さて今回、僕はこの台風の影響で、1日という短い期間ではありますが、「電気を使用できない」状況を体験しました。
その環境の中で、色々と感じたことがあったため、少しお話させていただきたいと思います。
電気が止まると何もできない
当たり前のことですが、電気が止まると日常使用しているものは、大抵使用出来なくなるんですね。
冷蔵庫・レンジ・テレビといった料理器具はもちろん、パソコン・エアコン・お風呂なども使えなくなります。
今まで僕は、今回のような状況を体験することがほとんどありませんでした。なので、電気によって物が動いていることを意識していませんでしたし、まさか動かなくなるなんて想像もしていませんでした。
けれども今回の停電で自分の周りにあるものは、大半が「電気」によって動いている。
そして、自然の力が猛威を振るえば、簡単に人類が創造したものなど捻り潰されるのだと実感したのです。
大切なものに気づけた気がする
電気が使用できないため、昼も夜も家の中は真っ暗です。何も見えないため、「懐中電灯」や「ろうそく」の灯りだけが頼りです。
ぼくの家では普段、食事や入浴が済むと、各々がバラバラになります。
父と母はテレビに熱中し、祖母は自室へ篭り、僕はPCをいじって時間を潰します。なので、最近はお互いに長時間話す時間がほとんどなかったように思います。
しかし今回、電気が止まり何も出来ない状況になったことにより、幸か不幸か”一家団欒”が久しぶりに復活したのです。
たまには家族みんなで時間を共有して過ごすのもいいものですね。そう改めて感じました。
もしみなさんも、最近家族と過ごせてないなと思ったら少しの時間でもいいので一緒に過ごしてみてください。
戦後にはありふれた日常だった
今回停電にあって、お風呂も入れないし、携帯も満足に使えないなんて不便だな~。何でこんな目にあうのだろう。
そんな思いを持ったのですが、これって実は半世紀ほど前では当たり前の光景だったんですよね。
当時の日本は、戦争中でしたし、戦争を有利にするため、国家総動員法なる法律も制定されて、食べ物も制限されていました。
祖母から聞いた話によると、当時の食事は、ご飯に漬物などのおかずが一品添えられているの程度。食事はとても貧相だったそうです。
魚に野菜・肉が、食卓で当たり前に並ぶ現代とは大きな違いですね。
また、3種の神器である、白黒テレビ・洗濯機・冷蔵庫といった電化製品が登場しだしたのは、1950年代後半になるのですよ。
現代の日本の”当たり前”は”特別”な状態
そう考えると、満足に食事ができ、夜も電灯が点いている今の環境が特別なのかもしれません。
現代では、朝も夜も区別がなく、常に煌々と至る所で明かりが灯されていますよね。
24時間営業であるコンビニを含め、チェーン店の多くが深夜近くまで営業しています。
僕は数年前、フランス・ベルギーといったヨーロッパ諸国に訪れたことがありますが、そこで見た生活は、日本の社会とは180度違うものでした。
例えば、日本人は世界一働く民俗と言われ、労働時間が非常に長いというデータがあります。家庭よりも仕事が大事。休日出勤も進んで行う。
そういった風潮が社会には蔓延しています。しかし、ヨーロッパでは多くのサラリーマンは、夕方5時頃になると帰路に着きますし、コンビニやスーパーは8時頃になるとすべて閉められてしまいます。
24時間営業しているお店というのはほとんどなかったのです。
この経験から、同じ時代にあっても、国によって考え方も環境も違うものなんだ。日本の”当たり前”は”当たり前ではない“んだということを学びました。
人は環境に適応できる
その時感じたことは、“なければない”で人はその環境に適応していけるということです。
スーパー8時までしか開店しないなら、それに合わせて仕事を行えるような社会制度にすればいい。また、今回の停電のように、電気が使えないなら、ろうそくや懐中電灯を使えばいいのです。
確かに、少し不便にはなると思います。けれども、どんな環境であっても人は与えられた場所で生きていける。そう実感しました。
あとがき
今回は台風の被害に会い、電気が使えない環境で感じたことについて書いてきました。
電気が使えなくても、不便ですが意外とやっていける。そう感じました。
また、”安全で満たされた”状態では、人は個で生きていけるけれども、大変な状態の時にはお互いに助け合う必要があるのだと思いました。
厳しい環境に置かれることで、普段は気づけない大切なことがわかるかもしれませんよ。