外国人から見る日本人のイメージとして、”時間に正確で神経質”だと語られる事がある。でも本当にそうなのでしょうか。
例えば、仕事の始業時間が9時からだとします。すると、日本では、「9時に仕事が出来る完璧な状態に仕上げておく」ことを意味します。一方で、海外では、「9時にみんなが揃っている」程度の状態を指しているのです。
一見、意識が高く素晴らしいコトのように思われるのですが、それは日本人が”時間のごまかし”や”時間に対するルーズ”な側面を持っているコトを意味しているのだと思います。
仮に9時から万全な状態で仕事を始めたいのであれば、会社は「8時30分に出勤し、9時から業務を開始する」ようにと、正確な時間を伝えるのが筋であります。
しかしながら、その部分は、”何となく”の雰囲気で個々人の裁量に任されてしまっているのです。職場の雰囲気を気にする人は、「周囲からの視線」を受けて、早く出勤するでしょう。
こうした曖昧な時間外の仕事が増える程、”仕事を為すために必要な時間”を算出する能力が奪われてしまいます。本来であれば、8時間で終えなければならない業務を、30分早めに来るコトで、完遂出来ると認識する。もし、30分でもダメなら1時間、2時間でも早く来て仕事を完遂する。
それは仕事に必要な時間をごまかし、長時間労働や過労死に繋がっていく助長なのかもしれません。
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時間を守るために大切なこと
定時で帰るのが大切なのはこのためです。定時で仕事を切り上げようと思えば、「この時間までには仕事を絶対に片づける」という強い気持ちがなければ、叶えようがないからです。
また、仕事をどこで切り上げるかを判断するのも勇気がいる作業です。明日でもいい仕事でも、だらだらやっていれば、「頑張りました!」という体裁は保つコトが出来ます。それに、「明日終わらなかったらどうしよう」という不安を解消することも出来るでしょう。
仕事をしていると、時間になったらキッチリと退社する人もいます。仕事量が少ないワケではなく、むしろ他の人に比べて多くの業務を任されているのに、”なぜ帰れるのか?”と疑問に思っていました。よくよく観察してみると、どうしたら”今日の仕事が完結するか”をはっきりをイメージしていたように思います。今日やる仕事、明日でいい仕事を分類し、誰にパスを投げて仕事を成し遂げるかを判断していたのですね。
どんな仕事にも納期は付きものです。いつまでに終わらせるかをあらかじめ決定して、守るべきもの。もし、納期が守れないのであれば、その仕事は破綻しているも同然でしょう。
“定時”というのは、私たち労働者にとっての納期のようなモノです。本来であれば、定時退社は当たり前の事であり、もしそれが難しいのであれば、会社は社員に対する納期を守れていないことになります。
もちろん、それは企業が”定時内で終わる業務”を課している場合の話です。終わるはずの業務なのに、労働者の能力が足りなくて完結出来ないならば、それはまた別の話。
とはいえ、往々にしてキャパ以上の仕事が与えられていることはあるでしょう。
元々定時で終わらないのを前提に組まれた仕事は、必ずどこかでガタがきます。その欠陥は、労働者が無理をして働き続け、健康を損ねるまで続くでしょう。身体を壊すと、取り返しのつかない事になります。もし、健康を損ねる予兆があるのであれば、自らの健康を選択して欲しいです。長時間働いても大丈夫なスーパーマンでない限り、そんな状態は長くは続かないのですから。
定時後の時間を確保する意味
定時で仕事を終えるのが大切なのは、“自分の時間”を確保できるからです。お金の大切さはよく語られますが、時間の重要性を私たちは忘れがちです。
お金の力は、子どもにだって分かります。1万円札を出せば、それに見合った商品が得られる。こちらが差し出したものに対して、見合った効果が可視化される。いたってシンプルで分かりやすい等価交換でしょう。
一方、”時間”は誰にとっても平等に与えれているがゆえに、その重要性を認識しづらいです。自宅に帰って、勉強しようが、お菓子を見ながらテレビを見ようが、寝ていようが、それは同じ”時間”です。しかし、同じ時間とはいっても、みんなが”自分の取り組みたい事に使える”貴重な時間”なのです。
私たちの未来は”今”の時間の積み重ねで決まってしまいます。ゆえに、自分の時間はとても大切です。個人個人が大切にして欲しい時間であります。努力目標を決めるもよし、好き勝手に楽しむもよし。定時退社することで、貴重な”未来への時間”を生み出せる。そう考えると、定時を基準にして、それぞれが無理のない働き方をすることが理想に思えてきませんか。