お金は何のためにあるのか。そしてそもそもなぜ作られたのかを探っていきたいと思います。
物々交換の時代
現在では「お金」を交換することで、簡単に自分の商品を手に入れることが出来ます。しかし、大昔には「お金」というものが存在しませんでした。
ではどうやって物を手に入れたでしょう。そう、物々交換です。
例えば、魚を捕るのが仕事のAさんと山菜を捕るのが仕事のBさんがいます。Aさんは魚を沢山取ることが出来たので、他のものと交換したくなりました。そこで、山菜と交換してもらおうとBさんの所に行き、魚と山菜を交換してもらいました。
ただここで問題が2つあります。
一つ目:交換するものを持ち運ばなければいけない
二つ目:お互いが欲しいものでなければ交換が成立しない
交換が成立しないかもしれない
先ほどの例では、上手く魚と山菜を交換することが出来ました。でも本当にうまくのでしょうか。
もしかしたら、Bさんは魚ではなく、お米が欲しいかもしれません。その場合、Aさんは山菜を手に入れることが出来ず、また違う魚を交換してくれる人を探し回らなければいけなくなります。とても面倒ですよね。
そこで物を持ち運ばなくても物を交換できる手法が作り出されるようになります。
貝殻が貨幣になった?
現在では、紙幣や硬貨でお金をやりとりをしますが、昔はそうではありませんでした。
紙幣の原料である紙は貴重なものでしたし、10円玉を作るための銅を作りだすことは困難でした。
そこで、人々は貝殻を貨幣として交換することで、物々交換の不便な世界から脱出を図ろうとしました。
共通の価値があれば誰とでも交換できる
今、私たちは1000円札を持っていれば1000円の物と交換出来ると思っているはずです。でもこれってよくよく考えると不思議なことではありませんか?
なぜなら、1000円札というのは、いってみればただの紙切れにすぎません。ただの紙切れにインクで野口英雄の絵が描かれているだけにすぎません。
では、なぜ1000円札を出して物と交換することが出来るのか。
それは、みんなが1000円札には1000円の価値があると認識しているからです。
つまり、みんなが10円は10円の価値、100円は100円の価値。という風に思っているから交換が成り立つわけです。
貝殻のお金も同じことで、貝殻一つでこれだけの価値。という風にみんなが認識することで交換を可能にしていきました。
お金という幻想
でもこれは逆にいえば、みんなが価値を認めなければ価値が存在しないことと同じ意味になります。
もし、みんなが1000円を紙切れ同然に思ってしまうと、お金の価値はなくなってしまいます。
よくお金は大切である。命同然である。といった内容の話がニュースではされていると思います。
確かにお金は大切です。生きていくためには必要なものであることは間違いないと思います。
けれども、お金というのは「みんなの共通認識」という脆い基盤の元に成り立っているシステムだということは理解しておく必要があるのではないでしょうか。
あとがき
今回はお金の成り立ちについて簡単にお話ししてきました。
お金はみんなの共通認識のおかげで価値を持つことが出来るというお話しでしたね。
お金は大切。お金は命である。
そうした意見もありますが、「お金の価値は簡単に崩れることもある」ということは覚えておいて方がいいかもしれませんね。
それでは今日はこんな感じで。
グッドラック!