僕たちの周りには、物が溢れすぎています。
新しい物が現れては、世間の注目を集め、しばらくすると消えていく。
「もうこれ以上優れたものは出てこないだろう」
と私たちが思った所で、人間の欲望は凄まじいです。
次から次へと、溢れ出る泉のように、欲望は世の中を多い尽くしていきます。
確かに新しい物はどんどん生まれ続けます。
機能は良くなり、細部にまで抜かりがありません。
普通に考えるのであれば、僕たちが選ぶのは、
“より機能に優れている”
“より品質のいい物”
であるはずだけれども、なぜだかそれだけでは心が惹かれなくなっている自分がいます。
それはなぜなんだろう。今日はそんなお話し。
作り手の”美意識”に感動する
「物を買ってもらうためには、その背景にある物語を伝える事が大切」だと言われます。
例えばAppleは、スティーブジョブズの思想が物語として、世の中に浸透している代表的な会社かもしれません。
それは会社を負われたジョブズが、再度不死鳥のように舞い戻り、世界的企業へとAppleを押し上げたといった物語です。
この物語によって、僕たちはAppleというブランドに価値を見出しているのだと、思っていました。
しかし、よく考えてみると、僕はその物語に感動して物を買っているわけじゃないのではないか。
その物を作っている人の”美意識”に価値を見出しているんじゃないかと思ったのです。
では、そのような”美意識”はどうすれば育むことが出来るのだろうか?
自分やっている事に、”自信”を持つのが大切なのでは
最も大切なのは、”自信”を持つことなんじゃないかと思います。
中々自分に自信を持つのは難しい事ではありますが、その方法の一つとして、
「自分の理想や想いを少しずつ形にし続けること」が、一番大切な事なのだと思います。
そのためには、全エネルギーを投入し、こだわりを持って形にし続けるべきです。
たとえ批判され、貶されたとしても、自分自身が臆することなく自信を持って発信できるように。
不安の中を突き進むか、歩みを止めるか
とはいえ、不安は常に付きまとってきます。
「自分の理想や想いは、誰の役にも立たないんじゃないか?」
「本当はこの道は、間違っているんじゃなかろうか?」
という不安です。
なればこそ、大切なのは自分を支えてくれる人達の存在なのだと思います。
自分の目指す目標に対して、賛同者がいるという安心感。そして、自信。
自分自身を保つのには、他者の存在が不可欠であり、彼らの支えがあってこそ、初めて美意識の獲得へと繋がっていくのだと思います。
つまり、他者との相互関係なくして、作り手の美意識は形成されないと言えるのかと。
バナナペーパーで人々を救いたいという想い
カンボジアには、一般社会法人kumaeがあります。
その代表である、山勢拓也さんは、大学を中退した後、単身カンボジアへと渡りました。
そこで目にした光景は、ゴミ山で働く人々の存在でした。
死と隣合わせの環境でありながら、生きるためには、そこで働くしかない。
生きる選択肢を一つしか持たない人達がいたのです。
「ゴミ山で働く以外の仕事を作りたい」
そうした想いを胸に抱くようになったそうです。
僕は、元から凄い才能や自信を持ち合わせている人が、人々を救い、素晴らしい製品を作る。その対価として、人が集まってくるのだと思っていました。
けれども、実はそれって違うんじゃないか?と感じるようになったのです。
1. 何の才能もない個人が、行動を始める
2. 自分の想いを形にしていく(コンテンツを形成する)
3. 自分のコンテンツに自信が持てるようになる
4. 発信することで、少しずつ共感者が現れ始める
5. 賛同者が得られるコトで、自信が持てるようになる
6. いつしか曖昧な自信が確固とした自信へと変化する。価値観が形成される
これが本来の順番なのではなかろうか。
自信や才能は、小さな行動の蓄積によってしか生まれない。
量が質を凌駕するように、行動の積み重ねが、自信を作ることへと繋がっていくのかもしれないと思うのです。
最後に
僕は何のためにブログを書き、大した収益をにもならない”文章を書く”という行為に時間を費やしているのだろう。
その理由が漠然としていたのですが、一番の想いは「迷っている人の背中に寄り添いたい」という想いだったのだと、改めて感じました。
大した人生経験もない、ありふれた凡人の一人が、コンテンツを生み出し続ける事で、共感者を得る。
そして、共感者を得ることで、少しずつ自信を獲得していくような過程。
無意識であれ、そんな理想像を思い描いていたんじゃないか。
少しでも、このブログを読んでくださっている方々の参考になれば幸いです。